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アメリカ博士課程留学 − 立志編

はじめまして、00_です。私は現在東京大学の学部4年生で、2020/2/13現在、10校出願したコンピューターサイエンスの博士課程プログラムのうち8校(MIT, Stanford, CMU, UW, Harvard, Brown, Princeton, UMD)から合格を頂いており、第一志望のMITに進学する予定です。残りの2校(UCSD, UCB)については結果待ちです。

全ての大学の結果が出揃ってから留学についてのブログを書こうと思っていましたが、合格を頂くにつれ出願までの辛い記憶が徐々に薄れつつあり、臨場感が伴った文章を書けなくなるのではと思いこのタイミングで立志編を書くことにしました。また、合格してから沢山の方にフォローされ、「天才ですね」というコメントを沢山頂くのですが、そんなことはなく、秀才が努力した結果が出ただけなんだということを伝えられればなと思います。この記事では、学部生活の概観、また「留学を決意するまで」の紆余曲折について話したいので、自分語りで少々取り留めのない書き方になってしまっています。論文数など私のスペック(という言い方は好きではないですが)、出願の戦略について、toefl/GREの点数やGPA、インターンや研究室訪問などについては近いうちに別の記事を書きます。

私が出願まで至ることが出来たのは本当に沢山の先輩方、先生方の多大なご支援のおかげです。この場を借りてお礼を言わせてください。五十嵐研究室の五十嵐先生と福里先生は研究経験が全くない当時の私を研究室に受け入れて下さり、研究者として必要なスキルを0から教えてくださいました。彼らのご指導が無ければ論文が出せていなかったので、当然大学院に合格することも出来ていなかったと思います。五十嵐研の皆さまにも研究のアドバイス、書類の添削や発表のフィードバック等様々にお世話になりました。情報科学科の萩谷先生をはじめとする先生方には、有意義な生活を送れるよう様々に取り計らって頂きました。CERNの上司、グループリーダーや同僚のおかげで世界最高峰の研究機関で研究や開発の経験を積むことが出来ましたし(詳しくはこちらを読んでください)、第一志望の研究室の教授はいきなりメールしてきた謎の学部生であった私をインターンで受け入れ、推薦状まで書いてくださいました。また、何の実績も無い頃から留学の背中を押してくださったRui Ueyamaさん、超多忙な中SOPや出願書類の添削、様々なアドバイスをしてくださったAkari Asaiさん、Motoya Ohnishiさんをはじめ、全員のお名前を挙げることが出来ない程多くの先輩方に添削やアドバイスをして頂きました。私が辛かった時期に背中を押してくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。

はじめに

大学に入学した当初からほのかに憧れていた大学院留学。世界でトップの大学で博士号を取ることは、前期試験に落ちて後期で東大に入り、前期教養の進学振り分けの点数も平均くらいだった私にとっては遠い遠い、いわゆる「天才」と呼ばれる人達だけに可能な夢物語の世界だと思っていました。

外部に大学院留学をする仲間を増やしたくて、今まで何人もの知り合いに留学を勧めました。決まってと言ってもいいほど、「すごく興味はあるけど、受かる気がしないから辞めておく」という返答をもらいました。しかし、大学1,2年の私は誰がどう見てもトップ大学に受かるとは到底思えない学生でした。学部生では主体的に動かなければ研究経験も積めないですし、周りを見ながら何となく人と同じことをやっているだけでトップ大学に「受かりそう」な学生になれるほど、日本の大学のレベルは高くなく、そんなに甘くはないと感じます。逆に、多少犠牲を払ってでも他の学生と違うことをする決意があれば、「受かりそう」な人になれる可能性は充分にあると思います。私の場合、まずは大学院留学がしたいという(当時の実力から言うと到底達成できそうにない)目標を決め、目標を決めてしまったのだからそれを実現するために努力するという方針を取りました。

このブログを読んでくださっているということは、読者の方々は多少留学に興味があるのだと思います。もし本当にその気があるなら、私生活を多少犠牲にし、同級生が遊んだり、就活や院試をしている間も研究や勉強をする決意をしてください。また、海外の先生にメールでいきなりコンタクトを取ったり、訪問をしたりするバイタリティも必要です。他の人と違う目標を目指すというのはかなり孤独感・疎外感がありますし、あまり友達も出来ないかもしれません。それでも良いと、出願をすると決心が出来た方は、当然ですがそれだけで決心していない人に比べて既に合格する確率が圧倒的に高いです。

留学を志した動機

私にとって、留学の一番大きな動機は、コンピューターサイエンスの分野だとアメリカは間違いなく世界一であり、このような競争が激しい環境で自分を試したいと思ったことです。この記事にも書いた通り自分には「より多くの、美しい景色を見たい」という根源的な欲求があり、世界トップの大学でストレスで死にそうになりながら博士号を取った後は世界がどの様に見えるのか、非常に非常に強い興味がありました。

また、スイスでインターンをした際に海外に住むことの楽しさに病み付きになりました。異文化に触れるのが大好きで、自分の知らない世界で生きてきた友達を作ること以上に楽しい事はないと感じました。海外にいると、自分と同様に海外に出てきた外国人と仲良くなるのですが、わざわざ外国に移住しようとする人は面白い事が多く、気が合う人が多いと感じました。

よく言われるのが「アメリカだと博士課程は給料が出るよ!」という言説ですが、これは必ずしも真ではなく、大学・研究室によるとしか言えないと思います。コンピューターサイエンスの分野はどの国でも資金が潤沢な為、資金面で言うと特にアメリカだから良いわけではないと思います。

出願に至った経緯(大学入学時から振り返り)

2015年度

海外の大学院に進学したいという気持ちは東大に入学した当初からありました。しかし、自分は高校時代に何の活動もしておらず、○○オリンピックなどの業績も無く、しかも前期の入試に落ちて後期で入学したため「私なんかが到底できるものではなさそう」と考えており、人に話しもしませんでした。東大に入学した当時は他の東大生に比べると客観的に見ても全く優秀ではない学生だったと思います。

高校までは沢山遊び、それはそれで楽しかったのですが、スキルというスキルがない自分に焦りを感じていました。入学後、サークルの新歓の時期に見つけたTSG(東大のコンピュータ系サークル)に入り、そこでプログラミングを学ぼうと思いました。TSGは非常に優秀な人しか居らず、情報オリンピック出場者、セキュリティキャンプ参加者、赤・黄コーダー、CTFで全国一位を取った人、基本情報当時最年少取得者などで溢れかえっていました。その当時、プログラミングの未経験者は自分しか居ませんでした。そんな贅沢な環境で同期や先輩に、文字通り0からパソコンについての知識を教えてもらっていました。サークルの人々には本当に感謝してもしきれないです。

超優秀な方々に手取り足取り教えてもらったお陰で、1年の秋頃には簡単なプログラムが書けるようになりました。10月頃にあったサークルのLT大会で、顔認識してメガネを掛けるプログラムを作り発表した覚えがあります。競プロやCTFも少しだけ手を出し、学びが多かったと思います。高校2年までは文系に行こうと思っていた人間で、かつ生物選択なのに理一に入ってしまったという非優秀勢だったので、大学の授業に苦戦しながらプログラミングをやっていたら1年があっという間に過ぎました。1年の夏は運転免許を取り、冬は英語の勉強をして英検1級を取っていた覚えがあります。

2016年度

2年に上がると授業が少し暇になり、社会経験だと思いホテルのバーでバイトをしたりしました。また、セキュリティキャンプに応募し、選考に通ることが出来ました。2年の夏はセキュリティキャンプ&研究室インターン&南米に1ヶ月旅行という過密スケジュールを過ごしており、ある意味とても大学生らしい生活でした。セキュリティキャンプに行った頃から、プログラミングが少しは出来るかも?と思い始めました。

東大は進学振り分けと言って、2年の夏に成績に応じて学科を振り分ける儀式があるのですが、無事第一希望の情報科学科に配属されました。この頃から海外留学を本気で視野に入れ始めていたため、秋学期の情報科学科の授業はとても頑張り、優や優上を沢山取ることが出来ました。

3年に進学し本郷に行くのを楽しみに、2年の春休みはワクワクしていました。しかし、ここで最大の誤算があり、なんと総合科目の単位の取り忘れで留年することが3月末に発覚しました。その結果、教養学部から卒業できず、進学先の内定も取り消しになりました。この留年は流石に予想外過ぎて、かなりショックを受けました。すぐに親や彼氏や留年した先輩などに泣きながら連絡し、慰めてもらった覚えがあります。留年が決まった当初は完全にパニックでしたが、同じく留年したTSGの先輩の勧めでGoogle Summer of Code(GSoC)という、オープンソースのプロジェクトに貢献できるプログラムに応募することにしました。

通常は、ここでまた2年生を繰り返すのですが、2年の秋学期は専門の授業を頑張っていたため割と優秀で、特に頑張った授業の先生の後押しもあり、特例で情報科学科の3年生の授業を履修出来ることになりました。正式な履修ではないので今年度の単位は出ないが、来年度正式に進学した際に単位を出していただこうという算段です。この神の救いの手が無ければ今の私は本当に無いと思うので、情報科学科の教授・事務の方々には一生頭が上がらないです。

2017年度

特例を出していただいた以上、優上以外の成績を取っては失礼だと思い、3年生の授業は本当に頑張りました。情報科学科の3年の授業は課題量が特に多く、起きている時間は常に課題が終わっていないという焦燥感を感じていました。当時はGoogle STEPというプログラムに加え、GSoCもやっていたので今までの人生で一番忙しく、あまりのストレスで頻繁に泣いていました。内定が取り消しになったため進学振り分けのプロセスをもう一度通らなければならず、前期教養の成績があまり良くなかったため情報科学科に進学できるかも心配でした。この時期は本当によく頑張ったと思うので、自分で自分を褒めてあげたいです。

結果的に、かなりギリギリだったとはいえ情報科学科に進学することができ、GSoCも高評価で終える事が出来ました。GSoCでお世話になった、CERNにいるメンターから1年間CERNインターンしないかというお誘いがあり、特例で3年生の講義を履修しているものの、卒業が一年遅れるのは確定な私としては天啓と言うしかない申し出でした。当然喜んでお受けし、翌年の春頃(正式に3年生に進学するタイミング)から1年間CERNで研究インターンをすることになりました。

Googleの夏のインターンにも通る事が出来ました。なので3年の夏はGoogleインターンに行くつもりでしたが、GSoCとGoogleインターンの両立は規則上出来ないという事がインターン開始1週間前になって発覚しました。そこで、インターンは冬に延期してもらい、夏はアメリカに語学留学に行くことにしました。当時から英語が出来ない方ではありませんでしたが、GSoCでskypeミーティングをしていた際、自分の言いたい事が上手く言えない上に、メンターが何を言っているのか聞き取れないという事態に何度も遭遇し、口頭でのコミュニケーションは改善の余地があると思っていたため、語学留学は役に立ちました。先生が私のことを「今まで会った生徒の中で一番優秀」と言ってくれる程可愛がってくれて、その後も渡米するたびにお会いするほど仲良くなれました。アメリカの政治や文化について詳しくなれたのも良かったと思います。その先生はバークレー卒で、アメリカの大学院に行くことを強く強く後押してくれたため、本当に感謝しています。

3年の冬学期はCPU実験という名物講義があり、情報科学科を志望した時からこの講義は頑張ろうと決めていました。したがって、他の講義の勉強を若干犠牲にしながらもCPU実験に全力投球していました。結果はこの記事にまとめましたが概ね好評で、多くの人に読んでいただく事が出来ました。また、San Joseで開催されたLLVMのミーティングに行き、初めての国際会議に震えながらもGSoCの成果を発表しました。研究に興味があったため、12月頃に五十嵐研究室にコンタクトを取り、以後今に至るまでお世話になっています。

春頃、CERNとの調整でインターンの開始が3月ということになってしまい、延期させて頂いていたGoogleインターンは最短2ヶ月なので行けないことになりました。残念でしたが、逆にCPU実験に打ち込む時間が増えたのは良かったです。

2018年度

3月にCERNがあるスイスに渡航し、そこでの一年の様子をこの記事にまとめました。一般論として、自分のことを知る人が誰も居ない環境、しかも非英語圏の外国で、チーム最年少のメンバーとして自分の実力を認めさせなければならないという状況は、最初は精神的にも肉体的にも本当に辛いです。しかし一旦溶け込んでしまえば、生活も楽しく、研究成果も目に見える形で出すことが出来たのでとても良かったです。CERNでの研究成果が2本の国際学会のフルペーパーにまとまっただけではなく、同時並行して五十嵐研究室で行なっていたグラフィックスの成果もポスターにまとまりトップ会議で発表を行うことができ、賞も取る事ができました。この時点で、知り合いや教授に大学院留学を相談したら「君なら絶対受かる!是非やりなよ!」と言ってもらえるくらいに優秀になる事が出来たので、学部を卒業してすぐに博士課程に進学するという気持ちが固まりました。

2019年度

2019年の3月にCERNから帰国し、4月から4年生になりました。グラフィックスの分野で目に見える成果がもう一つ欲しかったため、SIGGRAPH Asiaというトップ会議のtechnical brief(tb)を目指して研究を頑張ることにしました。また、12月には出願が控えているため、テストを受けたり奨学金の書類を準備したりなど、出願準備も着々と進めていきました。数は少ないですが授業も取っていたので、全部優上が取れるように頑張りました。

8,9月の夏休みは、2018年の11月頃にコンタクトしていた第一志望のJonathan Ragan-Kelley教授の研究室にインターンに行くことになりました。このインターンについては改めて記事を書きたいと思いますが、結果的には教授に評価して頂くことができ、推薦状まで書いてもらうことができました。インターン期間中に、Stanford, UW, CMU, MITにも研究室訪問を行い、教授や学生としっかりと議論が出来たことで、出願への自信に繋がっただけではなく、選考の際も非常に有利に働いたと思います。

帰国後は、奨学金の面接や出願準備で頭が一杯でした。船井奨学金に採択して頂いたことは出願に有利に働いただけでなく、「どこかには確実に受かるだろう」という自信にもつながりました。また、SIGGRAPH Asiaのtbに採択して頂くことが出来たため、発表をしにオーストラリアに渡航しました。

振り返ると、人からの後押しと思いがけないハプニングをいい方向に利用する事で合格することができたと感じます。留年に関しては、結果的にはGSoCを行えたことでCERNでのインターンにも繋がるなど良いことしかなく、塞翁が馬とはこういうことを言うんだなと思いました。結局、海外の大学院を本気で志望した動機としては、「元々興味はあったが、成果を出し、人から後押しして頂く事で自信を付け、出願に繋がった」というストーリーにまとまると思います。

出願の大変さ

経緯を読んでくれた方の中で、もしかしたら「この人は超優秀じゃん、何もしなくても受かるでしょ」という感想を抱く方もいるかもしれません。しかし、私は天才タイプでは決してなく*1、普通の才能と強いメンタルを努力で磨いてきた人間だと自己評価しています。世界でトップの大学院、しかもコンピューターサイエンスは競争が非常に激しく、多少の天才は目立ちもしないため、最後の最後まで自分は本当に合格するのかという疑いは拭えませんでした。東大の大学院を受けなかったため、来年は大学院に全落ちしてニートになっているかもしれないというプレッシャーも常にありました。

また、学年が一つ下がっているため同期に話せる人があまり居らず、4年の時は授業に行ってもあまり楽しくありませんでした。就職活動や東大の院試の勉強をしている同期や元同期を見て焦りを感じ、私はそれよりもっと高みに行くんだと思いつつ、これで失敗したら馬鹿にされるだろうなという気持ちもありました。船井奨学金に採択されるまでは身近に海外留学を志す友人が居ませんでしたが、ツイッターで話したりたまに情報交換をする知り合いを作ることは出来ました。東大にいる事はそのような仲間を作りやすく、留学した先輩も多い点で有利だなと感じました。

最後に

この記事では、質問箱でもよく聞かれる、私が出願に至った経緯について話しました。実践的な出願の戦略についても沢山の質問を頂いている為、また別途記事を書きたいと思います。自分の辛かった経験・感じたことなどを率直に書いているため公開するのが少々恥ずかしいですが、トップ校に受かる人も普通の人間だということが分かってもらえると思います。最後まで読んで頂きありがとうございました。もし応援したいと思って頂けるなら、ほしい物リストから何か送っていただけると嬉しいです。送って頂いた本は全部読んでいます。

*1:今まで散々本当に自頭が良い人々に出会ってきましたが、自頭だけで言うと私は彼らの足元にも及びません。

本棚にあったオススメのプログラミング本10冊

私の本棚にあるプログラミング関係の本の中で、とても役に立ったと思う本10冊を紹介します。これらは殆ど大学1,2年の時に購入した本で、情報系の世界で常識とされている知識を付けるのに役立ちました。プログラミングを初めたばかりの大学1,2年生の方には特に参考になるかなと思います。

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MAX10というFPGAが付いてくるFPGA入門のキットです。個人でFPGAを触ってみたいという人にはかなり良い入門書ではないでしょうか。組み立て方から、どの論理合成ソフトウェアを使うか、Lチカの方法など非常に丁寧に書いてあり、さらに応用プログラムなどのサンプルも充実しているのでとてもおすすめです。

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今も売っているか分かりませんが、ラズベリーパイが自分の中で流行っていた時期に購入しました。セットアップやLチカの方法からアプリケーションまで網羅されていて当時はとても便利に活用しました。

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とても有名なパタヘネ本です。5版ではMIPSを基礎にCPUの作り方が解説してありますが、最新版ではRISCVになったとも聞きます。授業などでCPUを0から作らざるを得ない状況になった人には必読の本と言えます。弊学科のCPU実験の時は皆この本を読んでいました。

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CPUってなんぞやという人には非常にオススメの入門書です。トランジスタなどかなり物理寄りな説明もあり、私は電子回路の授業で理解を深めるためにこの本を友人から借り、返すのを忘れたまま数年が経ちました。

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蟻本。言わずと知れた有名な本です。私は競プロからプログラミングに入門した勢なので、アルゴリズムってなんぞやというレベルから始まり、ICPCなどを解きながらこの本を読んで練習していました。

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Effective C++は非常に良いC++入門書だと思います。

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ksnctfという常設CTFをやっていた時期があり、その時Villager A,Bという問題を解くために買った覚えがあります。exploitに入門するには良い本だと思います。

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前作の白と黒の扉は友達に借りて読みました。形式言語の基礎的な内容を盛り込んだファンタジー小説で、ストーリーを楽しみながら勉強にもなって非常に良い本だと思います。

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CTFをやっていた時期があり、その時期に話題になっていたので購入しました。基礎的な内容が網羅されていて良いと思います。

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CNNやディープラーニングについて何も分からない人にはオススメの入門書です。基礎的な内容から始まり、最終的に動くコードを作っていく形式なので理解が深まります。

旅をする理由

私は旅が好きで、今までで33カ国を旅しました。今回は行った国々の感想ではなく*1、なぜ旅をするかというモチベーションの話をしたいと思います。

私には常に、好きなものを一つに決められないという悩みがあります。若い頃は気が狂ったようにしていた読書、ロシア語やスペイン語等の語学、アニメや漫画等のサブカル的な嗜好、暇さえあればいくらでも調べてしまう海外旅行、高校の時好きになった生物、世界の歴史と社会学、そしてもちろん本業の情報科学と幅広く興味がありますが、どれも何か一つを選べと言われた時に他に比べて圧倒的に好きな訳ではないのです。結局情報科学を専攻として選んだのは、他の好きなことよりも圧倒的に好きだったからではなく、将来性があり世界の発展に寄与しそうな分野だと思ったからです。

努力するのも好きです。何か目標を決め、それに向かって努力して達成することが好きです。自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じています。

そんな自分の根源的な欲求は、山があったら高いところまで登りたい、今までと違う景色を見たいという欲求なのだと近頃気が付きました。要は未知のものに対する漠然とした憧れだと思います。節操のない興味は違う景色を見たいという欲求の発露で、目標に向かって努力するのは山の高いところに登りたいという欲求の発露です。そこから見える景色が知りたいのです。

旅は、お金と時間さえあれば手軽にその欲求を満たしてくれます。秘境に実際に行くことで見たことのない景色を見れ、物理的に山登りをすることで数日間で大きな達成感を得ることができます。

2016年にボリビアに行った際、6088mのワイナ・ポトシという山に4500m地点から登りました。スペイン語を話すガイドを雇い二泊三日の行程でした。最終日は真夜中の12時に起床して登山を始め、ワイナ・ポトシの山頂に到着したのが朝の7時でした。雪山を7時間登るのは本当に辛くて、まず酸素が薄くて頭がぼーっとするし氷点下30度くらいなので四肢の感覚が無いしで、最初の30分以降はずっと「私は一体なぜお金を払ってわざわざこんなに辛いことをやってるんだ・・」という疑問で頭がいっぱいでした。歩いている時は辛すぎて自分の足元とガイドが引っ張るロープしか見えなくて、4時位に日が昇っても周りを見渡す余裕なんてありませんでした。他に登山している旅行者も沢山いましたが、途中で引き返している人も多く、ガイドによると1/10の人しか山頂に到着しないようです。しかし、死にそうになりながらやっと山頂に到着にした時は感動して涙が出ました。景色は息を飲むほど美しいですが、それ以上に死にそうになりながら足を動かしたことが報われたのが嬉しかったです。

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6088mのワイナ・ポトシからの景色。

反面、どんなに美しい風景でも頑張って到達した場所でないとそこまでの感動を呼び起こしませんでした。去年スイスで人生二回目のユングフラウに行きました*2ユングフラウは世界で初めて標高が高い山の上まで鉄道を通した場所で、3751mの展望台まで鉄道に乗るだけで到達することが出来ます。麓のグリンデルワルトという街では雨が降っていたため天候を心配しましたが幸運にして晴れ、眺め自体は素晴らしいと思いました。しかしながら、鉄道で登ってしまい何も辛いことがなかったためワイナ・ポトシに比べると全然感動はしませんでした。

自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じているという話を前述しましたが、物理的な山登りでもそれが当てはまるなと思いました。

山に登らない旅行でも、今まで知らなかった世界を知ることが出来ます。この記事でも書きましたが、あまり期待せずにウクライナに旅行に行き、予想以上に変わっていて奥深い体験をしたことでスラヴ的な文化に病みつきになってしまいました。それ以来ロシア語の勉強をしたり、東欧の政治や地理に異常に詳しくなってしまうなど全く予期していなかった世界が開けました。今ではロシアに何ヶ月か住むことを本気で考えています。

私にとって旅行は、手軽に未知のものに対する憧れを癒やしてくれる活動です。去年辺りからユーラシア大陸の真ん中あたりに対する興味が強いので、機会を見つけて放浪したいです。

コメントなどは大歓迎です。いつも参考にさせてもらっています。

*1:その話もいつかしたいです

*2:一回目は9歳の頃で高山病になり記憶がない

ヨーロッパで学んだワーク趣味バランス

ヨーロッパで生活する前までの私は完全に進捗以外眼中に無いタイプでした。東大は競争の激しい環境で、特に理系で理学部だと朝から晩まで勉強しているのが美徳でそれ以外の活動をするのは時間の無駄というような雰囲気があり、「お前が休んでいる間に他の人は進捗を生んでいるぞ。亀が努力しなくてどうするんだ。」みたいな思考で時間を取られそうな趣味のことは出来るだけ考えないようにしていました。ヨーロッパの研究所で働いていた副作用として仕事と仕事以外の楽しみというのは車輪の両輪で、どちらもバランスを取りながら前に進むことができるという事が分かったような気がしたので、その話をします。

滞在中何回も一緒に旅行に行ったイタリア人の友達がいます。彼女はイギリスのトップ校C大学で博士号を取得した後サイエンスライターになり私がいた研究所で働いていました。彼女は数え切れないほどの(もはや覚えていない、日本、インド、韓国、ミャンマーアメリカ、ドイツ...などなど)国で暮らし、5ヶ国語が流暢に話せ、3ヶ国語がどんな話題でも話せる程度に話せ、既に流暢に話せる言語も慢心せず毎週人と会って練習していました。半年前くらいにプログラミングの勉強をしたい!と言いながらプログラミングの勉強も始め、彼女の興味範囲は多岐に渡っています。昼休みにも仕事の後にも常に誰かと会う約束を入れ、ぼーっとすることなんて無いのではないかというくらいイベントが詰まっているようでした。待ち合わせの場所に行くと分厚いフランス語の教科書を座って読みながら待っていたり、パソコンで仕事をしながら待っていたりと暇さえあれば何かをやっているようでした。放っておくと引きこもってしまう私を常に仕事の後や週末のイベントに誘ってくれており、何故か私のことを面白いと思ったらしく一緒に行動してくれたのは非常に嬉しいことでした。

彼女に初めて会った時はショックを受け、こんなにエネルギッシュかつ優秀な人間が存在して良いのかという気持ちになりました。何より感心したのは、仕事を凄く頑張り誰もが羨むようなキャリアを持ちながらも仕事以外の全く関係ない分野や事柄にも非常に活動的で、人生を本当の意味で満喫しているように思われたことです。

年齢差もあり友達とは言えないですが、それなりによく話していた研究所の機械学習のチームのリーダーをしているイタリア人の女性がいました。彼女は物理学の博士号を持ちながら今一番ホットである機械学習のチームで重要な仕事をしており、普段は非常に忙しそうに研究所内を駆け回っていました。同時に、彼女は家庭を持ちながらバイクに乗ったりスキーをしたり旅行に行ったり、忙しい仕事の合間に少しでも暇を見つけ出して全力で楽しんでいるように見えました。

程度の差こそあれ、ヨーロッパの人々は人生というのを大切にします。ここで例に挙げた人は特にエネルギッシュですが、彼女達だけではなく皆全体的に仕事以外の人生を楽しんでおり、そのことを周りの人が肯定的に評価するという雰囲気がありました。反面、東大では少しでも遊んだり楽しんだりしている人は「リア充」「ウェイ」と呼ばれ、進捗しか生んでいない人に比べるとあまり肯定的に評価されない土壌があると思います。

何か上を目指したい人が駆け出しの時は非常に焦燥感に駆られます。自分は他の人より才能が無いから努力で埋めないといけないとか、休んでいる間にライバルに抜かれるだとか、そういう感情は誰にでもあり、真実でもあると思います。そして、楽しんでいる人を小馬鹿にするような雰囲気はその傾向を助長します。私が引用したヨーロッパの人々は家庭や趣味が仕事より大事だと思っているわけではなく、どちらも大事だからどちらも充分出来るように頑張るという姿勢で、逆に仕事"だけ"に集中することを奨励する姿勢より責任感があると感じました。

もちろん誰がどう生きるかというのはその人個人の選択ですが、私は幸運にして素晴らしい実例に出会うことが出来たので、少なくとも受験期の高校生のような「他にやりたいことがあるのにそれを押し殺して進捗をひたすら生む」といった方針の見直しに迫られました。私はどちらかというとやりたいことが多く興味の幅が広いタイプで、情報科学は私の中の無限にある好きでやりたいことリストの一つなので、それの進捗を生むためだけに好きな語学などが出来ないのは自分と自分の可能性を殺しているようにずっと感じていました。バランスが非常に取れた彼女達の存在は、「他の好きなことをやって進捗を生んでいない時間に罪悪感を感じなくていい、自由に自分の好きなことをしていい」ということを教えてくれた気がします。

とはいえ、進捗を頑張らないといけない時期も存在し、私にとっては今がその時です。終わったら好きなことを心ゆくまでしたいです。

追記

記事の内容を少し変更しました(5/18)。ワークライフバランスと書きましたが自分が伝えたいのはワーク"趣味"バランスの話だと気付いたのでタイトルを変えました。

ロシア語独学まとめ

ロシア語学習にハマって以来半年間ネット上に上がっている素材だけで独学を続けてきましたが、先週から文学部共通講義のロシア語中級という授業に行っており(学費を払えば)タダで90分間ロシア人の先生からロシア語を学べるなんて大学はなんて最高なんだ...となり私の独学期間は終わりを告げたので、今までにやったことのまとめを書きます。

導入

9月にウクライナに行ったことでロシア語学習にハマり、チェブラーシカを見てあまりの儚さ・愛しさに衝撃を受け絶対に英語字幕無しでチェブラーシカを見れるようにならなければいけないという強迫観念に憑かれました。

ロシア語と英語字幕付きのチェブラーシカ1話。
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それ以来、東欧的なものに全体的にハマってしまいYoutubeでスラブ語のラップ(ここではロシア語/ウクライナ語のような区別をしないためにスラブ語という表現を使用)を聞き始めたり、ソ連映画を見てみたりベラルーシやロシアやチェコに旅行に行ったりkindleでロシアの作家(トルストイゴーゴリチェーホフドストエフスキー等)の作品を読み漁ってしまうなど実生活に多大な影響を及ぼしました。

もちろん私のロシア語はまだ発展途上でありますが、何かに自発的に興味を持って学び、実際に半年間で一文字も読めなかった言語が少しは分かるようになったという喜びが大きすぎるのでこの記事を書きたいと思いました。言語学習をしたいなと思っていつつ腰が重い方の後押しになれば幸いです。

ハマった、さあどうする

何かに強くハマってしまったときは、往々にしてコスパを考えたり理性的な判断が出来なくなります。私はチェブラーシカの劇中歌にハマってしまったので、キリル文字すら読めないままとりあえず曲を暗記してしまいました。意図的に暗記しようとしてしたというよりは、好きすぎて仕事中ずっと聞いていて家に帰ったら歌詞を見ながら聞いていたら気付いたら覚えていたという感じでした。歌詞と曲を聴き比べながら、「ここはプって言っているので対応する文字は...пかな?」というように適当にやっていました。ある程度区別がつくようになってから、Youtubeで「Russian alphabet」などと検索して出てきた動画を上から見ていました。

ゲーナの誕生日の歌。この曲はチェブラーシカだけではなくロシア語圏で広く誕生日に歌われている。短調なのが最高すぎる。
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チェブラーシカの歌。舌足らずなところが愛しい。
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知っている方も多そうなカチューシャも同様に暗記しました。
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暗記というのは様々なことを教えてくれます。例えば、2つ目のチェブラーシカの歌の歌いだしのЯ был когда-то страннойという4語だけで、I(一人称)がЯ、過去形を作るときはбыл、когдаだとwhenですが-тоを付けることで曖昧な感じになりsometimeという意味になる、страннойはstrangeという意味 - など様々な事が分かります。最初はこのような品詞分解を訳も分からずやって混乱をしておりました。

もうちょっとちゃんとやる

旅行に行くための日常会話を覚えるためにYoutubeで「Russian language beginners」などと検索して出てきた動画を上から見ていました。例えば、この動画を文字通りBGMにして寝ていました。

そんな中ある日外大の言語モジュールと出会いました。このウェブサイトは本当に神で、文法や会話の説明がステップごとに載ってあり各ステップごとに練習問題までついているので語学独学者には欠かせないサイトだと思います。このモジュールを最初からやろうとし、10ステップくらいで飽きて別のこと(歌の品詞分解など)をやり、意味がわからない文法が出てきたらモジュールに説明を求めることを繰り返していました。

ロシア語学習の為のウェブサイトも参考にしました。枚挙に暇がないですが、例えばこのサイトの格の説明とよく使われる動詞500の表などは有用でした。これ以外にも「Russian language for beginners」などと検索して上に出てきたウェブサイトを拾い読みしていました。

また、Be fluent in RussianというYoutubeチャネルを発見し、ひたすら動画を見ていました。アメリカの大学にいる(いた?)ロシア人の学生がロシア語の文法規則を解説しているのですが、説明が本当に分かりやすい上にネイティブの感覚のようなものも伝わって来てとても助けになりました。
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Itakiという語学学習者と教師のプラットフォームを1,2回試したりtandemという語学学習者同士のマッチングアプリを使ったりもしましたが、時間が拘束されるのが嫌で結局続きませんでした。趣味なのでやりたい時に気まぐれにやりたいのです。

ロシア語話者の仲が良い友達はいたものの、ロシア語学習者の友達が一人しかいなくてとても孤独だったのでロシア語アカウントを作り情報収集の輪を広げようとしました。ロシア語例文ボットなどもフォローして何となく毎日見るのも役に立ったと思います。ロシア語の質問をするとフォロワーの方が答えてくれたりしてとても嬉しく、ツイッターの良さを感じました。

帰国後

上記の出来事は全てスイスに滞在中の話で、従って日本語で書かれたロシア語の本などが入手できませんでした。ネット上に上がっている素材しか使えなかったのはそういう事情がありました。3月に日本に帰ってきたので、日本語で書かれたロシア語の本が買えました!嬉しい!買った本はニューエクスプレスプラスロシア語という本としっかり学ぶロシア語という本で、後者はまだあまり進めてないですが前者はそれなりに進んでおり、初学者向けの説明が充実しておりとても分かり易いです。

また、前述の通りロシア語中級の授業に行き始めたのでそこで配られたプリントで分からない単語等を調べて覚えるようにしています。

5月に行われるロシア語検定4級に申し込みをしたので、それに向けて頑張ります!目標はあと一年くらい座学をした後にロシアに一ヶ月くらい留学してマンツーマン授業を受けて日常会話に困らないレベルになることです。

みなさん、言語学習を楽しみましょう!

CERNでの仕事と生活

日本を離れる日、成田空港の国際線ターミナルCPU実験の記事を投稿してからあっという間に7ヶ月が経ちました。

日本人の知り合いが一人もいない状態でジュネーブに単身移住しアゼルバイジャン人とシェアハウスしながらヨーロッパ人しかいないCERNのソフトウェアチームでブルガリア人の上司を持ちC++標準化委員のリーダーと働くとはどういう感じなのかが伝われば幸いです。

ちょっと前ですが類さんに関連する話を収録していただきました。
15. CERNでのソフトウェアエンジニアリング (高橋祐花)

仕事編

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ウェブが生まれたところがそこら辺にある。

なんの仕事してるの?

答えるのがめんどくさい時の返答
物理解析に使うROOTというソフトウェアを開発しています!

中くらいの返答
CERNで研究開発のインターンをしています。検出器で検出された大量のデータを解析するためにROOTという物理解析ツールがあります。ROOTは巨大ライブラリ群みたいなものなのですが、そのバックエンドでClang/LLVMを用いたClingというC++インタープリターが動いており、その最適化や結果として発生するメンテナンスやバグフィックスもしています。

ちゃんとした返答
ジュネーブにあるCERNという研究機関でAssociate Memberとして1年間研究開発をしています。最初の半年はCincinnati大学、後の半年はPrinceton大学の所属としてCERNとUS FundingのDIANA-HEPというところからお給料を頂いています。CERNにはLHCという加速器の他にAtlas, CMS, LHCb, Alice等々のexperiment(用語)があり、それらが検出したデータを解析するためにROOTというオープンソースのソフトウェアが使われています。ROOTとはインタラクティブに動くソフトウェアかつライブラリで、Math, Graphics, Machine Learning, Python bindings, Fittingなど解析者に便利な機能が提供されHEP(High Energy Physics)界隈ではスタンダードなツールです。かの有名なHiggs粒子の解析ももちろんROOTを使って行われ、有名なHiggsのグラフもROOTのヒストグラムを使って描かれました。ROOTのバックエンドではClingというC++ Interpreterが動いており、これはInteractive Promptと実行時のReflection Informationを提供するために使われています。ROOTの全ての機能はこのインタプリタを通して提供されるため、インタプリタのパフォーマンスはROOT全体のパフォーマンスに直結します。データセンターでもROOTは動いているのでそれを効率よくすることは費用的にも利があります。私の仕事はC++ Modulesという技術を用いてClingのパフォーマンスを最適化することです。バックで使用されているClang/LLVMやClingといったコンパイラインタプリタは大変な複雑さを持つもので、分かっている人は少ないためその辺りが壊れた際のバグフィックスやユーザー(この場合はインタプリタの関数を使っているROOTの開発者)をサポートしたりもしています。これ以上の技術的な話に興味がある方はぜひROOT Users workshopで発表したスライドを見て下さい。

仕事は"どう?"

楽しいですよ。もちろん仕事なので楽しくないこともありますけど。

技術的にはC++コンパイラインタプリタはとても複雑で面白いしオープンソースに貢献出来ているというのは嬉しいです。C++ ModulesはGoogleAppleが最大の開発者でありユーザーなのでその人たちと隔週でミーティングしているのも産業界と繋がっている気がして悪くないです。一番自分の為になったのはコンパイラという超巨大なソフトウェアも所詮ただの関数の集まりでしか無くて、ASTやシンボルなどというものもそういうクラスがあってインスタンスが関数の中を飛び回っているだけなんだという事を知れた事です。それが分かったことで、コンパイラやOSなどの巨大ソフトウェアに対する恐怖心がほぼ無くなりました。巨大ソフトウェアは何か怖いもので読んでも分からないしプロしか触れないものでは無いのです。本当にただの関数の集まりなので怖がらずに一つ一つ紐解いていけば誰でも分かるという事を学びました。

人間関係は悪くないです。同じ上司を持つウクライナ人の妹みたいなポジションになっており、オフィスでも常に一緒、昼ごはんも常に一緒、カンファレンスに行ったら同じ部屋に泊まりトイレ以外常に一緒にいてついでの旅行も一緒に行くみたいな居心地の良い感じになっています。上司は東欧人男性あるあるのツンデレですがいい人で、チームリーダーは本当にめちゃくちゃ優秀で尊敬しています。他のメンバーに比べて圧倒的に年下かつ非ヨーロッパ人なので多少不審な挙動をしても多めに見られている気がします。先日リーダーにファンディング探してくるからもっと長くいない?と言われたので働いてない訳ではないようです。大学に戻らないといけないので断りました。

給料はシリコンバレーインターンなどと比べると安いですがそれでも高い家賃と食費と旅行に行きまくっているのを差し引いてもまあまあ貯まりそうです。アカデミアあるあるですが、予算が限られているのでポジション争いが激しくほぼ全員が任期付き雇用だし昼ごはんは無料じゃないし、単純に給料や福祉のことだけを考えるなら企業に行った方が良さそうです。CERNで働いている人はソフトウェアチームでも全員が当たり前にPhDを持っていて、学会で成果を発表することが要求されるのでプログラミングだけではなく発表したりジャーナルに出したりしたい!という人には向いていそうです。

海外出張や発表が多いこともユニークな点です。今年は7月にCHEPという学会で発表して9月にROOT Users workshopでまた二つ発表、10月のLLVM dev meetingも行くことになっていて10月末にはジャーナルの締め切りもあります。大きめのもの以外にもインターナルなミーティングで発表などはしょっちゅうあり、スライドを作るのに費やされる時間が多いです。発表が多いことは慣れる点ではとても良いですが、あまりそれに時間を費やしすぎると普段の開発に支障が出るのでバランスが大事です。概ね、開発をする->焦ってスライドを作って練習する->発表する->開発をする->..というサイクルで動いている気がします。

生活編

生活が落ち着くまでに苦労したこと

住むところが見つからない。出国前の1月は毎分CERNマーケットのウェブページをリロードして新着の物件がないか探していました。ここでのアパート探しは気に入った物件がある->大家に自分がどれだけ信頼に値する人間かメールする->大家が選ぶ というプロセスなので何十通も仕事に応募するようなメールを書くことになります。今住んでいるアパートは見た瞬間これだと思い、日本にいるので下見は当然出来ませんが即決しました。今ではかなり気に入っていて、これ以上いいところはなかなか無いんじゃないかなと思います。シェアメイトは博士課程の男性なので心配されたりするのですが逆に男性の方がキッチン使わないしお風呂も短いし部屋に籠っているしで気楽です。

料理が本当に不味い。これには本当に驚愕しました。CERNの食堂で昼ごはん一食1500円くらいするのに不味すぎて喉を通らなかった・・。電子レンジと炊飯器と米を頑張って買って来て餓死を免れました。

最初は結構孤独でした。社交的でも無いのでオフィスに行ってコンパイラと格闘して家に帰って掃除して料理して寝るしかしてませんでした。当時は誰にも弱音を吐いていなかったと思うんですが思い返すといきなり涙が出て来たりしてた覚えがあるので実は辛かったんだと思います。つらいことはすぐ忘れるタイプなのであまり覚えてないですが、当時はこれ私じゃなきゃ心折れてるよなみたいな事を思っていた気がします。よく頑張ったなあ。

平均的な平日

朝遅めに起きて遅めにCERNに行く。メールなどが来たら返信してコードレビューが来ていたらなんとかする。Nightly buildやIncremental buildが故障してないかとかも確認して壊れていたらなんとかする。同じ机に座っている仲のいい同僚が話をしたいムードの時は話をしながら仕事をする。CERNの食堂は普通のランチタイムだと飽和状態になるため先の同僚と11:30くらいに食堂に行き毎回メニューがいかに酷いかを嘆く。パスタは往往にしてマシなのでパスタに10CHF払いさっさとランチを食べエスプレッソを飲んでオフィスに戻る。忙しくなければだいたいそこで話が弾み1時間くらい話をする。午後はまあ普通にプログラミングをしたりミーティング行ったり誰かを説得したりして気付いたら夜になる。家に帰ってもしょうがないからオフィスで仕事をしながら関係ない大学の研究したりロシア語の勉強したり趣味の開発をしたりして結局帰るのは21時だとかなり早いくらいになる。家に帰って家族や彼氏に日本から持って来てもらったレトルトカレーを食べて寝る。
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毎日カレーしか食べていない

週2くらいで友達と家で料理を作ったり外に食べに行ったり観劇しに行ったりといったイベントがある。

週末は何してるの?

旅行・カンファレンス・何かのイベントで家の外にいるのが70%くらい、家に引きこもってカタカタしているのが30%くらいです。親や友達や彼氏が結構頻繁に来るので案内したり、学会のついでに旅行をしていたり、バーベキューみたいなイベントがあったり様々です。最初の2ヶ月くらいは友達もいないし一人で旅行していたんですが、最近はずっと誰かと一緒に旅行している気がします。

この7ヶ月で行ったところ
3月 チュニジア(旅行)
5月 バルセロナ(旅行)
6月 ウィーン(旅行)
7月 ブルガリア(CHEPという学会)
7月 日本(CHEPからの一時帰国)
8月 バンクーバー(SIGGRAPHという学会)
8月 オランダ(SIGGRAPHのついでの旅行)
9月 ボスニア・ヘルツェゴビナ(ROOT Users workshop)
9月 クロアチア(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ブダペスト(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ミラノ(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ウクライナ(旅行)

この他にも家族が友人や彼氏が来た時にスイス国内や近隣の国に色々行ったり山に登ったりしているのでちょっと遊びすぎですね。

ジュネーヴぐらし!

ジュネーヴはお世辞にも暮らしやすい場所とは言えません。個人的にはかなり最悪に近いです。(注 私が好きな街はウクライナキエフとブラジルのサンパウロです

物価が高いです。東京の3倍くらいする気がします。アイス買ったり水買ったりするのもお金の無駄だなあと思いながらなので精神的にあまり良くないです。おまけにご飯がとても不味いです。
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おととい食べた牡蠣一皿で70CHF(8000円)

ジュネーブには何もないです。劇を見たかったら下北に行って美術館に行きたかったら上野に行って当日思い立って渋谷に映画を見に行ける贅沢にどっぷり浸かった東京生まれ東京育ちには厳しいです。本当に何もない。遠くにモンブランが見えます。

スイス人、特にフランス系スイス人は優しくないです。もちろん例外は存在しますが、スーパーや街で見かける普通の人間の質は高くないです。でもフランス語圏あるあるの人とすれ違ったらBonjourというのは良い文化ですね。

学びと友人

CERNは友達がたくさん出来る場所とは言えません。成熟した研究機関なので、大学のようにクラスでグループワークみたいな事もないし若い人で集まって騒ぐみたいなイベントもあまり無いです。やろうと思えば家とオフィスの往復だけで同僚以外と話さずに終える事もできます。自分から話しかけに行くか自然に仲良くなるのを待つか話しかけてもらうかしないと友達は出来なさそうです。

私は何人か友達が出来ました。二人のウクライナ人は元と現オフィスメイトで、イタリア人は日本語教えて!って出国前にメール来たのがきっかけで、スイス側日本人グループは私がトラムで話しかけたのがきっかけでした。友達とは言えないまでも色々な国籍の知り合いが増えました。広く浅く知り合いになるよりはひとりの人とずっと一緒にいたいタイプなので最後までこんな感じでいたい。

人間として成長した部分もあります。ここに来る前はちょっと引いていた他文化の行動・考え(友達や同僚の集まりに彼女や彼氏を連れて来る、日本では許容されないくらい国粋主義的・差別的な発言をする、子供が何歳になっても結婚せず事実婚カップル、告白という文化がなくセックスしてから付き合う、日曜日は家族で過ごさないといけないという脅迫観念、ありえないほど長い休暇を取る、イスラム教の女性のヒジャブハラール、そもそも一神教を信じている、などなどなどなど・・)を受け入れるとまではいかないものの、直ちに反感を持つことは無くなりました。

自分に馴染みのない意見を持っていたり行動を取る人でもとても優秀で尊敬できてすごく仲良くなれる人はいて、よくよく話を聞くと「なるほどそういう背景があったのか。自分も同じ立場だったらそうするなあ」と納得できる事が多いです。先進国じゃなかったりする環境で育って自分の想像もしなかった世界を見て育った人がいるかもしれない、そういう人とすごく仲良くなれるかもしれない、彼・彼女の価値観をもっと理解したいと思うかもしれない。外国で暮らしているだけでこんなに自分の人生が豊かになるなんてなんてお得なんだろうと思います。



何か質問やコメントがあればどうぞ。

追記

コメントなど色々ありがとうございます。外国で暮らしている人の話って面白いですよね、私も人のブログ読むのは好きです。

外国ぐらし!はアクシデントとハプニングの連続ですが(リュック盗まれそうになったり家のオートロックにパジャマ一枚で弾き出されてフランスの友達の家までヒッチハイクしたり)、日本にいては出会えないような人と会えて思ってもいなかった人生の変化があります(語学やったりウクライナ移住が人生の目標になったり)。まだ5ヶ月頑張るのでよろしくお願いします。

> どうやってそのポジションにたどり着いたのでしょうか?
なんてことはない、去年のGSoCのメンターが今の上司です。

> 全然関係ないがブリュッセルNATO本部の食堂が化学兵器並みにマズいという話を思い出した。https://www.politico.eu/article/nato-under-attack-from-bad-food-cafeteria-aramark-catering/
めっちゃ笑いました。

> シェアハウスについて
最初は若干ビビりましたがなんてことはないです。シェアハウスってしてみると分かるのですがお互い忙しすぎて週一でまともに会話できれば多い方くらいになってしまうので、あまり関わりがありません。家賃が高すぎるので友人たちもみんな男女混合でシェアハウスしてますね。

> 大変そう(イージーモードロサンゼルスから視線)
アメリカにはアメリカなりの大変さがありそう、興味あります。

> エル プサイ コングルゥ
シュタゲ、後半面白くなると聞いていてのですが前半のノリが無理で途中で見るのをやめてしましました。

> CERNのネットワークに侵入してLHCをリモート操作するのは可能でしょうか。それやったら命狙われますか。
コントロールルームは隔離されているのでネットワークに侵入するだけでは厳しいと思います。Europolとかに捕まるかもですね。

> 困ったときの中華料理屋ってわけにもいかない環境なのか
ジュネーブにも中華料理屋はあり比較的安いので日本人とご飯いくかーみたいな時は行ったりします。ヨーロッパではケバブがファーストフードとしての地位を確立しているのでケバブやシャワラマは安くて美味しいご飯です。

> 私の記憶が正しければ、CERNで採用されたC++インタプリタは日本人の後藤さんが作製したもの。だよね?
昔のC++インタプリタCINTは後藤さんが開発したもののようです。ROOT Version 6から後はClingというLLVMバックエンドの新しいインタプリタが使われています。

私が海外で暮らしている・これからも暮らしたいと思っているのは日本が嫌だからではありません。日本(東京しか住んだことないけど)はすごく住みやすい国だしご飯は美味しいし人は優しいし文化的な活動が色々あるし私を20年間育ててくれた訳だしで、文句は全くありません。私が例えばスイスで生まれ育ったら東京に住んでみたいと思うと思います。なぜ海外に住むのが好きかというと、その方が刺激的だし東京に20年間住んでいるので流石に飽きてきたというだけです。

一人称の揺れは気分です。

> 去年のGsoCのメンターがCernでの上司とのことですが、物理学の人じゃない場合そういうコネが無いとやっぱりそのポジションを得るのは厳しいですか?あと大学を休学して仕事しているんでしょうか?
私は物理学の人ではなく、去年LLVMGoogle Summer of Codeに参加した情報系の学生です。CERNで情報系の職を日本人が得たいなら、コネというか実力を認めてくれて引っ張ってくれる人は必要です。なぜなら、ヨーロッパ等のMember Stateと呼ばれる国の学生ならSummer StudentやTechnical StudentといったオフィシャルなCERNのプログラムに応募する資格がありますが、日本はMember Stateではないので他のFundingを探さないといけないからです。もし興味があるならCERN HSF Google Summer of Codeに応募し、頑張ってメンターに実力を認めてもらってその後の機会に繋げるのが良いと思います。大学はそうですね、話すとちょっと長くなるのですがCERNにいる間はお休みしています。

CERN語

最近CERNにいる期間が残り少ないことに気付いてメランコリーな気分になったので忘れないように思ったことを纏めます。

CERN語について

CERNでの公用語は英語とフランス語。オフィシャルなメールなどは英語+フランス語で送られてくるがたまにフランス語だけなこともある。事務系の仕事はフランス人またはフランス語が流暢なイタリア人が多いからだと思う。CERNの英語はCERinglishと言われるくらいひどく、色々な国の人が好きなアクセントで好きに話している。

CERNで働く物理学者なら大学ごとに部屋やチームが閉じているので日本人なら日本語会話だけで仕事することも可能(というか多い)らしい。私がいるROOTチームは日本人は一人だが、英語のネイティブスピーカーが一人もおらず英語のレベルは全体的に高くないので、英語で劣等感を感じたり苦労することは特になかった。フランス人特有のアクセントはお世辞にも上手いとは言えないし、ミーティングで英語でなんて言うか分からない単語があったらフランス語で言ってみてそれが分かった人が英語で言うみたいな事もあるので、私のチームでは英語の能力はあまり必要ではない。

色々な言語を話す人がいるので、その場にいる人の最大公約数を取って言語を選択するというのがよく行われる。例えばイタリア人二人とスペイン人ならイタリア語あたりに落ち着くし、ドイツ人とフランス人ならフランス語で話しているし、post-USSRの国々の人々が集まったらロシア語で話している。別に何語で話してもいいのだ。

私はアングロサクソン至上主義みたいなのが嫌いで、日本人が海外で仕事をする時にアングロサクソンのカルチャーに合わせないといけないという強迫観念のような物を持たなくてもいいと思う。ちゃんと喋れてさえいれば完璧なアクセントでなくてもいいのだ。聞き返されたら聞き取れなかった方が悪いのだ。アングロサクソンのアクセントでないことを恥に思う必要は全くないのだとCERNの人々を見て思う。

英語について

上手い人は上手いし下手な人は本当に下手。でも正直そんなことはあまり関係なく、当然技術的な実力の方が重視される。意思疎通さえしっかりできれば良いのだ。

小学生の時1年間イギリスに住んでいた事があり、帰国後も割とちゃんと勉強していたのでそれくらいのレベルで別に困らなかった。稀だが、会話の中で聞いたことない単語があればその場で意味を聞いているし相手も分からなかったら聞いてくる。英語のレベルが云々より堂々としていること、伝えるだけの内容を持つこと、ちゃんと相手に分かりやすいように説明をすることが大事である。コミットメッセージのタイポはたまに指摘される。

フランス語について

ジュネーヴはフランス語圏なので、当然日々の暮らしではフランス語が必要である。CERNに勤める人々は基本的なフランス語会話はできる場合が多い。

私は出国前にDuolingoのフランス語を40%くらいやってから行ったが、最初はそもそも相手が言っている単語をパース出来なかった。無声音やリエゾンなどがありごにょごにょ言っているようにしか聞こえないのだ。しかし流石に日々暮らしていると色々と慣れ、まずはトラムの駅を通過するごとに駅名の読み方を覚えトラムのアナウンスを覚え料理を注文する時によく使う表現をフランス人に教えてもらい・・などしているうちに買い物などをするだけなら困らないようになった。ちゃんとした会話ができるレベルでは到底無いが、ちゃんとした会話をしたいと思う相手は英語が喋れるので困っていない。フランス語は困らないレベルに達したらあまり勉強しなくなってしまった。

スペイン語について

CERNにはドイツとイギリスが最大の出資をしているにも関わらず、CERNにはラテン系の人が多い。理由としてはイタリアやスペイン、ポルトガルなどでは賃金が高く無いので研究者はCERNに来たがり、イギリスなどではすでに高いのでわざわざ応募するインセンティブが無いのだろう。故に日々聞こえてくるスペイン語も多い。

前期教養の時に友達が選んだからという理由でスペイン語を選んだ。授業ではあまり真面目にはやっていなかったが、2016年に南米に1ヶ月旅行に行った時に南米はスペイン語しか通じないので死ぬ気で勉強した。本当に英語が全く通じなかった。結局南米が大好きになり、その後も継続的に勉強したりスペイン人を見つけては練習台になってもらったりしている。スペイン語話者はフランス語話者と比べて適当な文法でも分かってくれるしちょっと話せると喜んでくれるし親切に教えてくれるし最高である。

ドイツ語について

ドイツ人はドイツ語のことをEnglish++と言っている。ドイツ人は英語が平均的に上手いのでドイツ語を勉強する必要はあまり無い。

私は中学の時に中二病NANAを聞いたりドイツ語を齧ったりしていた。去年の冬に自分の中でドイツ語ブームが訪れDuolingoを50-60%くらいやったりドイツ語選択の教科書貸してもらったりドイツ人にドイツ語でメッセージを送りつけるなどしていた。スイスの四つの公用語のうちの一つがドイツ語で、話者も多いのでBernやZermattに行くときはお店で使うかなくらい。ドイツ人もフランス人と比べるとちゃんとドイツ語聞いてくれるし優しいしで最高である。

ロシア語について

ここ最近のブームである。CERNに来て1ヶ月もしない頃から同僚から聞いてもいないのにロシア語のアルファベットиの読み方をいきなり教えられたのが始まりだった。何故か私の周りにはpost-USSRの人々が多いのでオフィスでの会話の大部分がロシア語で、流石に一日中聞いていたら脳内頻度分析がされ「もーじゅな」「はらしょー」「やにぱにまーゆ」ってよく言ってるなあとは分かってくるものである。

その後も事あるごとにロシア語のアルファベットや単語をたまに教えられその都度へーと思い、カチューシャをロシア語で歌えるように練習して歌詞で出て来たアルファベットの読みを覚えなどやっているうちにキリル文字がなんとなく読めるようになった。先日ウクライナに行って惚れ込んでからはロシア語話者を練習台にして迷惑がられている。