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東京に帰ってきた情報系東大生です

旅をする理由

私は旅が好きで、今までで33カ国を旅しました。今回は行った国々の感想ではなく*1、なぜ旅をするかというモチベーションの話をしたいと思います。

私には常に、好きなものを一つに決められないという悩みがあります。若い頃は気が狂ったようにしていた読書、ロシア語やスペイン語等の語学、アニメや漫画等のサブカル的な嗜好、暇さえあればいくらでも調べてしまう海外旅行、高校の時好きになった生物、世界の歴史と社会学、そしてもちろん本業の情報科学と幅広く興味がありますが、どれも何か一つを選べと言われた時に他に比べて圧倒的に好きな訳ではないのです。結局情報科学を専攻として選んだのは、他の好きなことよりも圧倒的に好きだったからではなく、将来性があり世界の発展に寄与しそうな分野だと思ったからです。

努力するのも好きです。何か目標を決め、それに向かって努力して達成することが好きです。自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じています。

そんな自分の根源的な欲求は、山があったら高いところまで登りたい、今までと違う景色を見たいという欲求なのだと近頃気が付きました。要は未知のものに対する漠然とした憧れだと思います。節操のない興味は違う景色を見たいという欲求の発露で、目標に向かって努力するのは山の高いところに登りたいという欲求の発露です。そこから見える景色が知りたいのです。

旅は、お金と時間さえあれば手軽にその欲求を満たしてくれます。秘境に実際に行くことで見たことのない景色を見れ、物理的に山登りをすることで数日間で大きな達成感を得ることができます。

2016年にボリビアに行った際、6088mのワイナ・ポトシという山に4500m地点から登りました。スペイン語を話すガイドを雇い二泊三日の行程でした。最終日は真夜中の12時に起床して登山を始め、ワイナ・ポトシの山頂に到着したのが朝の7時でした。雪山を7時間登るのは本当に辛くて、まず酸素が薄くて頭がぼーっとするし氷点下30度くらいなので四肢の感覚が無いしで、最初の30分以降はずっと「私は一体なぜお金を払ってわざわざこんなに辛いことをやってるんだ・・」という疑問で頭がいっぱいでした。歩いている時は辛すぎて自分の足元とガイドが引っ張るロープしか見えなくて、4時位に日が昇っても周りを見渡す余裕なんてありませんでした。他に登山している旅行者も沢山いましたが、途中で引き返している人も多く、ガイドによると1/10の人しか山頂に到着しないようです。しかし、死にそうになりながらやっと山頂に到着にした時は感動して涙が出ました。景色は息を飲むほど美しいですが、それ以上に死にそうになりながら足を動かしたことが報われたのが嬉しかったです。

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6088mのワイナ・ポトシからの景色。

反面、どんなに美しい風景でも頑張って到達した場所でないとそこまでの感動を呼び起こしませんでした。去年スイスで人生二回目のユングフラウに行きました*2ユングフラウは世界で初めて標高が高い山の上まで鉄道を通した場所で、3751mの展望台まで鉄道に乗るだけで到達することが出来ます。麓のグリンデルワルトという街では雨が降っていたため天候を心配しましたが幸運にして晴れ、眺め自体は素晴らしいと思いました。しかしながら、鉄道で登ってしまい何も辛いことがなかったためワイナ・ポトシに比べると全然感動はしませんでした。

自分がかけた時間と労力と、その目標を達成したときの達成感は比例するものだと信じているという話を前述しましたが、物理的な山登りでもそれが当てはまるなと思いました。

山に登らない旅行でも、今まで知らなかった世界を知ることが出来ます。この記事でも書きましたが、あまり期待せずにウクライナに旅行に行き、予想以上に変わっていて奥深い体験をしたことでスラヴ的な文化に病みつきになってしまいました。それ以来ロシア語の勉強をしたり、東欧の政治や地理に異常に詳しくなってしまうなど全く予期していなかった世界が開けました。今ではロシアに何ヶ月か住むことを本気で考えています。

私にとって旅行は、手軽に未知のものに対する憧れを癒やしてくれる活動です。去年辺りからユーラシア大陸の真ん中あたりに対する興味が強いので、機会を見つけて放浪したいです。

コメントなどは大歓迎です。いつも参考にさせてもらっています。

*1:その話もいつかしたいです

*2:一回目は9歳の頃で高山病になり記憶がない

ヨーロッパで学んだワーク趣味バランス

ヨーロッパで生活する前までの私は完全に進捗以外眼中に無いタイプでした。東大は競争の激しい環境で、特に理系で理学部だと朝から晩まで勉強しているのが美徳でそれ以外の活動をするのは時間の無駄というような雰囲気があり、「お前が休んでいる間に他の人は進捗を生んでいるぞ。亀が努力しなくてどうするんだ。」みたいな思考で時間を取られそうな趣味のことは出来るだけ考えないようにしていました。ヨーロッパの研究所で働いていた副作用として仕事と仕事以外の楽しみというのは車輪の両輪で、どちらもバランスを取りながら前に進むことができるという事が分かったような気がしたので、その話をします。

滞在中何回も一緒に旅行に行ったイタリア人の友達がいます。彼女はイギリスのトップ校C大学で博士号を取得した後サイエンスライターになり私がいた研究所で働いていました。彼女は数え切れないほどの(もはや覚えていない、日本、インド、韓国、ミャンマーアメリカ、ドイツ...などなど)国で暮らし、5ヶ国語が流暢に話せ、3ヶ国語がどんな話題でも話せる程度に話せ、既に流暢に話せる言語も慢心せず毎週人と会って練習していました。半年前くらいにプログラミングの勉強をしたい!と言いながらプログラミングの勉強も始め、彼女の興味範囲は多岐に渡っています。昼休みにも仕事の後にも常に誰かと会う約束を入れ、ぼーっとすることなんて無いのではないかというくらいイベントが詰まっているようでした。待ち合わせの場所に行くと分厚いフランス語の教科書を座って読みながら待っていたり、パソコンで仕事をしながら待っていたりと暇さえあれば何かをやっているようでした。放っておくと引きこもってしまう私を常に仕事の後や週末のイベントに誘ってくれており、何故か私のことを面白いと思ったらしく一緒に行動してくれたのは非常に嬉しいことでした。

彼女に初めて会った時はショックを受け、こんなにエネルギッシュかつ優秀な人間が存在して良いのかという気持ちになりました。何より感心したのは、仕事を凄く頑張り誰もが羨むようなキャリアを持ちながらも仕事以外の全く関係ない分野や事柄にも非常に活動的で、人生を本当の意味で満喫しているように思われたことです。

年齢差もあり友達とは言えないですが、それなりによく話していた研究所の機械学習のチームのリーダーをしているイタリア人の女性がいました。彼女は物理学の博士号を持ちながら今一番ホットである機械学習のチームで重要な仕事をしており、普段は非常に忙しそうに研究所内を駆け回っていました。同時に、彼女は家庭を持ちながらバイクに乗ったりスキーをしたり旅行に行ったり、忙しい仕事の合間に少しでも暇を見つけ出して全力で楽しんでいるように見えました。

程度の差こそあれ、ヨーロッパの人々は人生というのを大切にします。ここで例に挙げた人は特にエネルギッシュですが、彼女達だけではなく皆全体的に仕事以外の人生を楽しんでおり、そのことを周りの人が肯定的に評価するという雰囲気がありました。反面、東大では少しでも遊んだり楽しんだりしている人は「リア充」「ウェイ」と呼ばれ、進捗しか生んでいない人に比べるとあまり肯定的に評価されない土壌があると思います。

何か上を目指したい人が駆け出しの時は非常に焦燥感に駆られます。自分は他の人より才能が無いから努力で埋めないといけないとか、休んでいる間にライバルに抜かれるだとか、そういう感情は誰にでもあり、真実でもあると思います。そして、楽しんでいる人を小馬鹿にするような雰囲気はその傾向を助長します。私が引用したヨーロッパの人々は家庭や趣味が仕事より大事だと思っているわけではなく、どちらも大事だからどちらも充分出来るように頑張るという姿勢で、逆に仕事"だけ"に集中することを奨励する姿勢より責任感があると感じました。

もちろん誰がどう生きるかというのはその人個人の選択ですが、私は幸運にして素晴らしい実例に出会うことが出来たので、少なくとも受験期の高校生のような「他にやりたいことがあるのにそれを押し殺して進捗をひたすら生む」といった方針の見直しに迫られました。私はどちらかというとやりたいことが多く興味の幅が広いタイプで、情報科学は私の中の無限にある好きでやりたいことリストの一つなので、それの進捗を生むためだけに好きな語学などが出来ないのは自分と自分の可能性を殺しているようにずっと感じていました。バランスが非常に取れた彼女達の存在は、「他の好きなことをやって進捗を生んでいない時間に罪悪感を感じなくていい、自由に自分の好きなことをしていい」ということを教えてくれた気がします。

とはいえ、進捗を頑張らないといけない時期も存在し、私にとっては今がその時です。終わったら好きなことを心ゆくまでしたいです。

追記

記事の内容を少し変更しました(5/18)。ワークライフバランスと書きましたが自分が伝えたいのはワーク"趣味"バランスの話だと気付いたのでタイトルを変えました。

ロシア語独学まとめ

ロシア語学習にハマって以来半年間ネット上に上がっている素材だけで独学を続けてきましたが、先週から文学部共通講義のロシア語中級という授業に行っており(学費を払えば)タダで90分間ロシア人の先生からロシア語を学べるなんて大学はなんて最高なんだ...となり私の独学期間は終わりを告げたので、今までにやったことのまとめを書きます。

導入

9月にウクライナに行ったことでロシア語学習にハマり、チェブラーシカを見てあまりの儚さ・愛しさに衝撃を受け絶対に英語字幕無しでチェブラーシカを見れるようにならなければいけないという強迫観念に憑かれました。

ロシア語と英語字幕付きのチェブラーシカ1話。
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それ以来、東欧的なものに全体的にハマってしまいYoutubeでスラブ語のラップ(ここではロシア語/ウクライナ語のような区別をしないためにスラブ語という表現を使用)を聞き始めたり、ソ連映画を見てみたりベラルーシやロシアやチェコに旅行に行ったりkindleでロシアの作家(トルストイゴーゴリチェーホフドストエフスキー等)の作品を読み漁ってしまうなど実生活に多大な影響を及ぼしました。

もちろん私のロシア語はまだ発展途上でありますが、何かに自発的に興味を持って学び、実際に半年間で一文字も読めなかった言語が少しは分かるようになったという喜びが大きすぎるのでこの記事を書きたいと思いました。言語学習をしたいなと思っていつつ腰が重い方の後押しになれば幸いです。

ハマった、さあどうする

何かに強くハマってしまったときは、往々にしてコスパを考えたり理性的な判断が出来なくなります。私はチェブラーシカの劇中歌にハマってしまったので、キリル文字すら読めないままとりあえず曲を暗記してしまいました。意図的に暗記しようとしてしたというよりは、好きすぎて仕事中ずっと聞いていて家に帰ったら歌詞を見ながら聞いていたら気付いたら覚えていたという感じでした。歌詞と曲を聴き比べながら、「ここはプって言っているので対応する文字は...пかな?」というように適当にやっていました。ある程度区別がつくようになってから、Youtubeで「Russian alphabet」などと検索して出てきた動画を上から見ていました。

ゲーナの誕生日の歌。この曲はチェブラーシカだけではなくロシア語圏で広く誕生日に歌われている。短調なのが最高すぎる。
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チェブラーシカの歌。舌足らずなところが愛しい。
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知っている方も多そうなカチューシャも同様に暗記しました。
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暗記というのは様々なことを教えてくれます。例えば、2つ目のチェブラーシカの歌の歌いだしのЯ был когда-то страннойという4語だけで、I(一人称)がЯ、過去形を作るときはбыл、когдаだとwhenですが-тоを付けることで曖昧な感じになりsometimeという意味になる、страннойはstrangeという意味 - など様々な事が分かります。最初はこのような品詞分解を訳も分からずやって混乱をしておりました。

もうちょっとちゃんとやる

旅行に行くための日常会話を覚えるためにYoutubeで「Russian language beginners」などと検索して出てきた動画を上から見ていました。例えば、この動画を文字通りBGMにして寝ていました。

そんな中ある日外大の言語モジュールと出会いました。このウェブサイトは本当に神で、文法や会話の説明がステップごとに載ってあり各ステップごとに練習問題までついているので語学独学者には欠かせないサイトだと思います。このモジュールを最初からやろうとし、10ステップくらいで飽きて別のこと(歌の品詞分解など)をやり、意味がわからない文法が出てきたらモジュールに説明を求めることを繰り返していました。

ロシア語学習の為のウェブサイトも参考にしました。枚挙に暇がないですが、例えばこのサイトの格の説明とよく使われる動詞500の表などは有用でした。これ以外にも「Russian language for beginners」などと検索して上に出てきたウェブサイトを拾い読みしていました。

また、Be fluent in RussianというYoutubeチャネルを発見し、ひたすら動画を見ていました。アメリカの大学にいる(いた?)ロシア人の学生がロシア語の文法規則を解説しているのですが、説明が本当に分かりやすい上にネイティブの感覚のようなものも伝わって来てとても助けになりました。
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Itakiという語学学習者と教師のプラットフォームを1,2回試したりtandemという語学学習者同士のマッチングアプリを使ったりもしましたが、時間が拘束されるのが嫌で結局続きませんでした。趣味なのでやりたい時に気まぐれにやりたいのです。

ロシア語話者の仲が良い友達はいたものの、ロシア語学習者の友達が一人しかいなくてとても孤独だったのでロシア語アカウントを作り情報収集の輪を広げようとしました。ロシア語例文ボットなどもフォローして何となく毎日見るのも役に立ったと思います。ロシア語の質問をするとフォロワーの方が答えてくれたりしてとても嬉しく、ツイッターの良さを感じました。

帰国後

上記の出来事は全てスイスに滞在中の話で、従って日本語で書かれたロシア語の本などが入手できませんでした。ネット上に上がっている素材しか使えなかったのはそういう事情がありました。3月に日本に帰ってきたので、日本語で書かれたロシア語の本が買えました!嬉しい!買った本はニューエクスプレスプラスロシア語という本としっかり学ぶロシア語という本で、後者はまだあまり進めてないですが前者はそれなりに進んでおり、初学者向けの説明が充実しておりとても分かり易いです。

また、前述の通りロシア語中級の授業に行き始めたのでそこで配られたプリントで分からない単語等を調べて覚えるようにしています。

5月に行われるロシア語検定4級に申し込みをしたので、それに向けて頑張ります!目標はあと一年くらい座学をした後にロシアに一ヶ月くらい留学してマンツーマン授業を受けて日常会話に困らないレベルになることです。

みなさん、言語学習を楽しみましょう!

CERNでの仕事と生活

日本を離れる日、成田空港の国際線ターミナルCPU実験の記事を投稿してからあっという間に7ヶ月が経ちました。

日本人の知り合いが一人もいない状態でジュネーブに単身移住しアゼルバイジャン人とシェアハウスしながらヨーロッパ人しかいないCERNのソフトウェアチームでブルガリア人の上司を持ちC++標準化委員のリーダーと働くとはどういう感じなのかが伝われば幸いです。

ちょっと前ですが類さんに関連する話を収録していただきました。
15. CERNでのソフトウェアエンジニアリング (高橋祐花)

仕事編

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ウェブが生まれたところがそこら辺にある。

なんの仕事してるの?

答えるのがめんどくさい時の返答
物理解析に使うROOTというソフトウェアを開発しています!

中くらいの返答
CERNで研究開発のインターンをしています。検出器で検出された大量のデータを解析するためにROOTという物理解析ツールがあります。ROOTは巨大ライブラリ群みたいなものなのですが、そのバックエンドでClang/LLVMを用いたClingというC++インタープリターが動いており、その最適化や結果として発生するメンテナンスやバグフィックスもしています。

ちゃんとした返答
ジュネーブにあるCERNという研究機関でAssociate Memberとして1年間研究開発をしています。最初の半年はCincinnati大学、後の半年はPrinceton大学の所属としてCERNとUS FundingのDIANA-HEPというところからお給料を頂いています。CERNにはLHCという加速器の他にAtlas, CMS, LHCb, Alice等々のexperiment(用語)があり、それらが検出したデータを解析するためにROOTというオープンソースのソフトウェアが使われています。ROOTとはインタラクティブに動くソフトウェアかつライブラリで、Math, Graphics, Machine Learning, Python bindings, Fittingなど解析者に便利な機能が提供されHEP(High Energy Physics)界隈ではスタンダードなツールです。かの有名なHiggs粒子の解析ももちろんROOTを使って行われ、有名なHiggsのグラフもROOTのヒストグラムを使って描かれました。ROOTのバックエンドではClingというC++ Interpreterが動いており、これはInteractive Promptと実行時のReflection Informationを提供するために使われています。ROOTの全ての機能はこのインタプリタを通して提供されるため、インタプリタのパフォーマンスはROOT全体のパフォーマンスに直結します。データセンターでもROOTは動いているのでそれを効率よくすることは費用的にも利があります。私の仕事はC++ Modulesという技術を用いてClingのパフォーマンスを最適化することです。バックで使用されているClang/LLVMやClingといったコンパイラインタプリタは大変な複雑さを持つもので、分かっている人は少ないためその辺りが壊れた際のバグフィックスやユーザー(この場合はインタプリタの関数を使っているROOTの開発者)をサポートしたりもしています。これ以上の技術的な話に興味がある方はぜひROOT Users workshopで発表したスライドを見て下さい。

仕事は"どう?"

楽しいですよ。もちろん仕事なので楽しくないこともありますけど。

技術的にはC++コンパイラインタプリタはとても複雑で面白いしオープンソースに貢献出来ているというのは嬉しいです。C++ ModulesはGoogleAppleが最大の開発者でありユーザーなのでその人たちと隔週でミーティングしているのも産業界と繋がっている気がして悪くないです。一番自分の為になったのはコンパイラという超巨大なソフトウェアも所詮ただの関数の集まりでしか無くて、ASTやシンボルなどというものもそういうクラスがあってインスタンスが関数の中を飛び回っているだけなんだという事を知れた事です。それが分かったことで、コンパイラやOSなどの巨大ソフトウェアに対する恐怖心がほぼ無くなりました。巨大ソフトウェアは何か怖いもので読んでも分からないしプロしか触れないものでは無いのです。本当にただの関数の集まりなので怖がらずに一つ一つ紐解いていけば誰でも分かるという事を学びました。

人間関係は悪くないです。同じ上司を持つウクライナ人の妹みたいなポジションになっており、オフィスでも常に一緒、昼ごはんも常に一緒、カンファレンスに行ったら同じ部屋に泊まりトイレ以外常に一緒にいてついでの旅行も一緒に行くみたいな居心地の良い感じになっています。上司は東欧人男性あるあるのツンデレですがいい人で、チームリーダーは本当にめちゃくちゃ優秀で尊敬しています。他のメンバーに比べて圧倒的に年下かつ非ヨーロッパ人なので多少不審な挙動をしても多めに見られている気がします。先日リーダーにファンディング探してくるからもっと長くいない?と言われたので働いてない訳ではないようです。大学に戻らないといけないので断りました。

給料はシリコンバレーインターンなどと比べると安いですがそれでも高い家賃と食費と旅行に行きまくっているのを差し引いてもまあまあ貯まりそうです。アカデミアあるあるですが、予算が限られているのでポジション争いが激しくほぼ全員が任期付き雇用だし昼ごはんは無料じゃないし、単純に給料や福祉のことだけを考えるなら企業に行った方が良さそうです。CERNで働いている人はソフトウェアチームでも全員が当たり前にPhDを持っていて、学会で成果を発表することが要求されるのでプログラミングだけではなく発表したりジャーナルに出したりしたい!という人には向いていそうです。

海外出張や発表が多いこともユニークな点です。今年は7月にCHEPという学会で発表して9月にROOT Users workshopでまた二つ発表、10月のLLVM dev meetingも行くことになっていて10月末にはジャーナルの締め切りもあります。大きめのもの以外にもインターナルなミーティングで発表などはしょっちゅうあり、スライドを作るのに費やされる時間が多いです。発表が多いことは慣れる点ではとても良いですが、あまりそれに時間を費やしすぎると普段の開発に支障が出るのでバランスが大事です。概ね、開発をする->焦ってスライドを作って練習する->発表する->開発をする->..というサイクルで動いている気がします。

生活編

生活が落ち着くまでに苦労したこと

住むところが見つからない。出国前の1月は毎分CERNマーケットのウェブページをリロードして新着の物件がないか探していました。ここでのアパート探しは気に入った物件がある->大家に自分がどれだけ信頼に値する人間かメールする->大家が選ぶ というプロセスなので何十通も仕事に応募するようなメールを書くことになります。今住んでいるアパートは見た瞬間これだと思い、日本にいるので下見は当然出来ませんが即決しました。今ではかなり気に入っていて、これ以上いいところはなかなか無いんじゃないかなと思います。シェアメイトは博士課程の男性なので心配されたりするのですが逆に男性の方がキッチン使わないしお風呂も短いし部屋に籠っているしで気楽です。

料理が本当に不味い。これには本当に驚愕しました。CERNの食堂で昼ごはん一食1500円くらいするのに不味すぎて喉を通らなかった・・。電子レンジと炊飯器と米を頑張って買って来て餓死を免れました。

最初は結構孤独でした。社交的でも無いのでオフィスに行ってコンパイラと格闘して家に帰って掃除して料理して寝るしかしてませんでした。当時は誰にも弱音を吐いていなかったと思うんですが思い返すといきなり涙が出て来たりしてた覚えがあるので実は辛かったんだと思います。つらいことはすぐ忘れるタイプなのであまり覚えてないですが、当時はこれ私じゃなきゃ心折れてるよなみたいな事を思っていた気がします。よく頑張ったなあ。

平均的な平日

朝遅めに起きて遅めにCERNに行く。メールなどが来たら返信してコードレビューが来ていたらなんとかする。Nightly buildやIncremental buildが故障してないかとかも確認して壊れていたらなんとかする。同じ机に座っている仲のいい同僚が話をしたいムードの時は話をしながら仕事をする。CERNの食堂は普通のランチタイムだと飽和状態になるため先の同僚と11:30くらいに食堂に行き毎回メニューがいかに酷いかを嘆く。パスタは往往にしてマシなのでパスタに10CHF払いさっさとランチを食べエスプレッソを飲んでオフィスに戻る。忙しくなければだいたいそこで話が弾み1時間くらい話をする。午後はまあ普通にプログラミングをしたりミーティング行ったり誰かを説得したりして気付いたら夜になる。家に帰ってもしょうがないからオフィスで仕事をしながら関係ない大学の研究したりロシア語の勉強したり趣味の開発をしたりして結局帰るのは21時だとかなり早いくらいになる。家に帰って家族や彼氏に日本から持って来てもらったレトルトカレーを食べて寝る。
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毎日カレーしか食べていない

週2くらいで友達と家で料理を作ったり外に食べに行ったり観劇しに行ったりといったイベントがある。

週末は何してるの?

旅行・カンファレンス・何かのイベントで家の外にいるのが70%くらい、家に引きこもってカタカタしているのが30%くらいです。親や友達や彼氏が結構頻繁に来るので案内したり、学会のついでに旅行をしていたり、バーベキューみたいなイベントがあったり様々です。最初の2ヶ月くらいは友達もいないし一人で旅行していたんですが、最近はずっと誰かと一緒に旅行している気がします。

この7ヶ月で行ったところ
3月 チュニジア(旅行)
5月 バルセロナ(旅行)
6月 ウィーン(旅行)
7月 ブルガリア(CHEPという学会)
7月 日本(CHEPからの一時帰国)
8月 バンクーバー(SIGGRAPHという学会)
8月 オランダ(SIGGRAPHのついでの旅行)
9月 ボスニア・ヘルツェゴビナ(ROOT Users workshop)
9月 クロアチア(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ブダペスト(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ミラノ(ROOT Users workshopのついでの旅行)
9月 ウクライナ(旅行)

この他にも家族が友人や彼氏が来た時にスイス国内や近隣の国に色々行ったり山に登ったりしているのでちょっと遊びすぎですね。

ジュネーヴぐらし!

ジュネーヴはお世辞にも暮らしやすい場所とは言えません。個人的にはかなり最悪に近いです。(注 私が好きな街はウクライナキエフとブラジルのサンパウロです

物価が高いです。東京の3倍くらいする気がします。アイス買ったり水買ったりするのもお金の無駄だなあと思いながらなので精神的にあまり良くないです。おまけにご飯がとても不味いです。
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おととい食べた牡蠣一皿で70CHF(8000円)

ジュネーブには何もないです。劇を見たかったら下北に行って美術館に行きたかったら上野に行って当日思い立って渋谷に映画を見に行ける贅沢にどっぷり浸かった東京生まれ東京育ちには厳しいです。本当に何もない。遠くにモンブランが見えます。

スイス人、特にフランス系スイス人は優しくないです。もちろん例外は存在しますが、スーパーや街で見かける普通の人間の質は高くないです。でもフランス語圏あるあるの人とすれ違ったらBonjourというのは良い文化ですね。

学びと友人

CERNは友達がたくさん出来る場所とは言えません。成熟した研究機関なので、大学のようにクラスでグループワークみたいな事もないし若い人で集まって騒ぐみたいなイベントもあまり無いです。やろうと思えば家とオフィスの往復だけで同僚以外と話さずに終える事もできます。自分から話しかけに行くか自然に仲良くなるのを待つか話しかけてもらうかしないと友達は出来なさそうです。

私は何人か友達が出来ました。二人のウクライナ人は元と現オフィスメイトで、イタリア人は日本語教えて!って出国前にメール来たのがきっかけで、スイス側日本人グループは私がトラムで話しかけたのがきっかけでした。友達とは言えないまでも色々な国籍の知り合いが増えました。広く浅く知り合いになるよりはひとりの人とずっと一緒にいたいタイプなので最後までこんな感じでいたい。

人間として成長した部分もあります。ここに来る前はちょっと引いていた他文化の行動・考え(友達や同僚の集まりに彼女や彼氏を連れて来る、日本では許容されないくらい国粋主義的・差別的な発言をする、子供が何歳になっても結婚せず事実婚カップル、告白という文化がなくセックスしてから付き合う、日曜日は家族で過ごさないといけないという脅迫観念、ありえないほど長い休暇を取る、イスラム教の女性のヒジャブハラール、そもそも一神教を信じている、などなどなどなど・・)を受け入れるとまではいかないものの、直ちに反感を持つことは無くなりました。

自分に馴染みのない意見を持っていたり行動を取る人でもとても優秀で尊敬できてすごく仲良くなれる人はいて、よくよく話を聞くと「なるほどそういう背景があったのか。自分も同じ立場だったらそうするなあ」と納得できる事が多いです。先進国じゃなかったりする環境で育って自分の想像もしなかった世界を見て育った人がいるかもしれない、そういう人とすごく仲良くなれるかもしれない、彼・彼女の価値観をもっと理解したいと思うかもしれない。外国で暮らしているだけでこんなに自分の人生が豊かになるなんてなんてお得なんだろうと思います。



何か質問やコメントがあればどうぞ。

追記

コメントなど色々ありがとうございます。外国で暮らしている人の話って面白いですよね、私も人のブログ読むのは好きです。

外国ぐらし!はアクシデントとハプニングの連続ですが(リュック盗まれそうになったり家のオートロックにパジャマ一枚で弾き出されてフランスの友達の家までヒッチハイクしたり)、日本にいては出会えないような人と会えて思ってもいなかった人生の変化があります(語学やったりウクライナ移住が人生の目標になったり)。まだ5ヶ月頑張るのでよろしくお願いします。

> どうやってそのポジションにたどり着いたのでしょうか?
なんてことはない、去年のGSoCのメンターが今の上司です。

> 全然関係ないがブリュッセルNATO本部の食堂が化学兵器並みにマズいという話を思い出した。https://www.politico.eu/article/nato-under-attack-from-bad-food-cafeteria-aramark-catering/
めっちゃ笑いました。

> シェアハウスについて
最初は若干ビビりましたがなんてことはないです。シェアハウスってしてみると分かるのですがお互い忙しすぎて週一でまともに会話できれば多い方くらいになってしまうので、あまり関わりがありません。家賃が高すぎるので友人たちもみんな男女混合でシェアハウスしてますね。

> 大変そう(イージーモードロサンゼルスから視線)
アメリカにはアメリカなりの大変さがありそう、興味あります。

> エル プサイ コングルゥ
シュタゲ、後半面白くなると聞いていてのですが前半のノリが無理で途中で見るのをやめてしましました。

> CERNのネットワークに侵入してLHCをリモート操作するのは可能でしょうか。それやったら命狙われますか。
コントロールルームは隔離されているのでネットワークに侵入するだけでは厳しいと思います。Europolとかに捕まるかもですね。

> 困ったときの中華料理屋ってわけにもいかない環境なのか
ジュネーブにも中華料理屋はあり比較的安いので日本人とご飯いくかーみたいな時は行ったりします。ヨーロッパではケバブがファーストフードとしての地位を確立しているのでケバブやシャワラマは安くて美味しいご飯です。

> 私の記憶が正しければ、CERNで採用されたC++インタプリタは日本人の後藤さんが作製したもの。だよね?
昔のC++インタプリタCINTは後藤さんが開発したもののようです。ROOT Version 6から後はClingというLLVMバックエンドの新しいインタプリタが使われています。

私が海外で暮らしている・これからも暮らしたいと思っているのは日本が嫌だからではありません。日本(東京しか住んだことないけど)はすごく住みやすい国だしご飯は美味しいし人は優しいし文化的な活動が色々あるし私を20年間育ててくれた訳だしで、文句は全くありません。私が例えばスイスで生まれ育ったら東京に住んでみたいと思うと思います。なぜ海外に住むのが好きかというと、その方が刺激的だし東京に20年間住んでいるので流石に飽きてきたというだけです。

一人称の揺れは気分です。

> 去年のGsoCのメンターがCernでの上司とのことですが、物理学の人じゃない場合そういうコネが無いとやっぱりそのポジションを得るのは厳しいですか?あと大学を休学して仕事しているんでしょうか?
私は物理学の人ではなく、去年LLVMGoogle Summer of Codeに参加した情報系の学生です。CERNで情報系の職を日本人が得たいなら、コネというか実力を認めてくれて引っ張ってくれる人は必要です。なぜなら、ヨーロッパ等のMember Stateと呼ばれる国の学生ならSummer StudentやTechnical StudentといったオフィシャルなCERNのプログラムに応募する資格がありますが、日本はMember Stateではないので他のFundingを探さないといけないからです。もし興味があるならCERN HSF Google Summer of Codeに応募し、頑張ってメンターに実力を認めてもらってその後の機会に繋げるのが良いと思います。大学はそうですね、話すとちょっと長くなるのですがCERNにいる間はお休みしています。

CERN語

最近CERNにいる期間が残り少ないことに気付いてメランコリーな気分になったので忘れないように思ったことを纏めます。

CERN語について

CERNでの公用語は英語とフランス語。オフィシャルなメールなどは英語+フランス語で送られてくるがたまにフランス語だけなこともある。事務系の仕事はフランス人またはフランス語が流暢なイタリア人が多いからだと思う。CERNの英語はCERinglishと言われるくらいひどく、色々な国の人が好きなアクセントで好きに話している。

CERNで働く物理学者なら大学ごとに部屋やチームが閉じているので日本人なら日本語会話だけで仕事することも可能(というか多い)らしい。私がいるROOTチームは日本人は一人だが、英語のネイティブスピーカーが一人もおらず英語のレベルは全体的に高くないので、英語で劣等感を感じたり苦労することは特になかった。フランス人特有のアクセントはお世辞にも上手いとは言えないし、ミーティングで英語でなんて言うか分からない単語があったらフランス語で言ってみてそれが分かった人が英語で言うみたいな事もあるので、私のチームでは英語の能力はあまり必要ではない。

色々な言語を話す人がいるので、その場にいる人の最大公約数を取って言語を選択するというのがよく行われる。例えばイタリア人二人とスペイン人ならイタリア語あたりに落ち着くし、ドイツ人とフランス人ならフランス語で話しているし、post-USSRの国々の人々が集まったらロシア語で話している。別に何語で話してもいいのだ。

私はアングロサクソン至上主義みたいなのが嫌いで、日本人が海外で仕事をする時にアングロサクソンのカルチャーに合わせないといけないという強迫観念のような物を持たなくてもいいと思う。ちゃんと喋れてさえいれば完璧なアクセントでなくてもいいのだ。聞き返されたら聞き取れなかった方が悪いのだ。アングロサクソンのアクセントでないことを恥に思う必要は全くないのだとCERNの人々を見て思う。

英語について

上手い人は上手いし下手な人は本当に下手。でも正直そんなことはあまり関係なく、当然技術的な実力の方が重視される。意思疎通さえしっかりできれば良いのだ。

小学生の時1年間イギリスに住んでいた事があり、帰国後も割とちゃんと勉強していたのでそれくらいのレベルで別に困らなかった。稀だが、会話の中で聞いたことない単語があればその場で意味を聞いているし相手も分からなかったら聞いてくる。英語のレベルが云々より堂々としていること、伝えるだけの内容を持つこと、ちゃんと相手に分かりやすいように説明をすることが大事である。コミットメッセージのタイポはたまに指摘される。

フランス語について

ジュネーヴはフランス語圏なので、当然日々の暮らしではフランス語が必要である。CERNに勤める人々は基本的なフランス語会話はできる場合が多い。

私は出国前にDuolingoのフランス語を40%くらいやってから行ったが、最初はそもそも相手が言っている単語をパース出来なかった。無声音やリエゾンなどがありごにょごにょ言っているようにしか聞こえないのだ。しかし流石に日々暮らしていると色々と慣れ、まずはトラムの駅を通過するごとに駅名の読み方を覚えトラムのアナウンスを覚え料理を注文する時によく使う表現をフランス人に教えてもらい・・などしているうちに買い物などをするだけなら困らないようになった。ちゃんとした会話ができるレベルでは到底無いが、ちゃんとした会話をしたいと思う相手は英語が喋れるので困っていない。フランス語は困らないレベルに達したらあまり勉強しなくなってしまった。

スペイン語について

CERNにはドイツとイギリスが最大の出資をしているにも関わらず、CERNにはラテン系の人が多い。理由としてはイタリアやスペイン、ポルトガルなどでは賃金が高く無いので研究者はCERNに来たがり、イギリスなどではすでに高いのでわざわざ応募するインセンティブが無いのだろう。故に日々聞こえてくるスペイン語も多い。

前期教養の時に友達が選んだからという理由でスペイン語を選んだ。授業ではあまり真面目にはやっていなかったが、2016年に南米に1ヶ月旅行に行った時に南米はスペイン語しか通じないので死ぬ気で勉強した。本当に英語が全く通じなかった。結局南米が大好きになり、その後も継続的に勉強したりスペイン人を見つけては練習台になってもらったりしている。スペイン語話者はフランス語話者と比べて適当な文法でも分かってくれるしちょっと話せると喜んでくれるし親切に教えてくれるし最高である。

ドイツ語について

ドイツ人はドイツ語のことをEnglish++と言っている。ドイツ人は英語が平均的に上手いのでドイツ語を勉強する必要はあまり無い。

私は中学の時に中二病NANAを聞いたりドイツ語を齧ったりしていた。去年の冬に自分の中でドイツ語ブームが訪れDuolingoを50-60%くらいやったりドイツ語選択の教科書貸してもらったりドイツ人にドイツ語でメッセージを送りつけるなどしていた。スイスの四つの公用語のうちの一つがドイツ語で、話者も多いのでBernやZermattに行くときはお店で使うかなくらい。ドイツ人もフランス人と比べるとちゃんとドイツ語聞いてくれるし優しいしで最高である。

ロシア語について

ここ最近のブームである。CERNに来て1ヶ月もしない頃から同僚から聞いてもいないのにロシア語のアルファベットиの読み方をいきなり教えられたのが始まりだった。何故か私の周りにはpost-USSRの人々が多いのでオフィスでの会話の大部分がロシア語で、流石に一日中聞いていたら脳内頻度分析がされ「もーじゅな」「はらしょー」「やにぱにまーゆ」ってよく言ってるなあとは分かってくるものである。

その後も事あるごとにロシア語のアルファベットや単語をたまに教えられその都度へーと思い、カチューシャをロシア語で歌えるように練習して歌詞で出て来たアルファベットの読みを覚えなどやっているうちにキリル文字がなんとなく読めるようになった。先日ウクライナに行って惚れ込んでからはロシア語話者を練習台にして迷惑がられている。

ウクライナが好き

9/28から10/2までウクライナに旅行に行っていて、結論から言うと感情の塊になったので感情を整理するためにブログを書きます。

背景

現在同じ机に座っているウクライナ人Oちゃんと、5月までオフィスにいたウクライナ人V君の影響でCERNに来てからロシアンラップを聞くようになったりロシア語教えてもらったりしていた。二人は政治的に対照的で、同時に両方の耳から真逆の視点の話を聞くうちに当然ウクライナに興味を持ち自分の目で確かめたくなった。

V君がキエフに帰ってしまったので遊びに行くよ!と約束しつつ夏の間は忙しくて9月末まで行けなかった。イタリア人のLちゃんを7月ごろに旅行に誘い、Lちゃんのウクライナ人の友達DちゃんとDちゃんの友達Lsちゃんとその彼氏、Oちゃんの友達Aちゃんとその彼氏も巻き込んだかなり濃密な旅行になった。

9/28 キエフで講演

Dちゃんが主催している科学イベントでLちゃんと共にCERNについて話してくれないかと言われ、快諾した。イベントは金曜の夜だったので仕事を休み昼過ぎにキエフに到着した。空港から市内までは電車がないのでバスで移動した。Lsちゃんの家に泊めてもらえることになっており、40分くらい迷いつつ家に到着した。

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会場は本屋兼カフェ兼イベントもできるよみたいな場所で、とても良かった。誰が聴衆なのか知らなかったが行ってみたら科学者が多く、V君も来てくれてプレッシャーを感じつつなんとか話を終えた。パブに移動し、質問をされたり行くべき観光場所を教えてもらったりした。こういうイベントに来る人だからだろうが、向上心と好奇心が強くコミュニケーション力も高い人が多くて感心した。外国人が来て科学について話すようなイベントはあまり無いらしく、とても喜んでもらえて嬉しかった。

9/29 キエフ観光とバレエ

V君とLちゃんと三人でキエフ観光をしていた。

私はアラベスクという漫画を小さい時から愛読していた。主人公はキエフ出身のバレリーナで、あらすじは(当時の)レニングラードバレエ団に入団しプリマになっていくシンデレラストーリーだった。この漫画をきっかけにバレエが好きになり、特に(レニングラード)マリンスキーバレエ団、ボリジョイ、キエフは私の中でホワイトバレエのメッカになりずっとずっと憧れていた。この日程を選んだ理由の一つが土曜日にくるみ割り人形の講演があったからだった。Sugar plum fairy danceが死ぬほど好きで、死ぬほど生で見たかった。

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バレエは最高だった。ロシアの踊りと花のワルツはとても印象に残った。パドトゥは本当に最高で、女性のバリエーション(sugar plum fairy dance)は期待値が高かったので生で見れて感動したし男性のバリエーションはあまり期待していなかったがジャンプが高く、鳥肌がたった。無理やり連れて来てしまったあまりバレエに興味ない二人も感動していたのでとても良かった。

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徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰としてニコライ1世が赤く塗りつぶしたキエフ大学の赤い門。

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ウクライナ人はデモが好きらしい。2004年2014年のデモはとても有名だ。独立広場には2014年に亡くなった人の写真や政治的プロパガンダ、花や国旗が飾られていて心が痛む雰囲気だった。

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歴史博物館にあった写真で2014年の革命でレーニン像が破壊されている様子。

キエフの人々にとって2014年のデモは記憶に新しく、それに続くロシアのクリミア編入とドンバスの分離主義武装勢力との対立は現在も最大の関心事のようだった。東西に1500kmにも及ぶウクライナは西、真ん中、東で政治的に意見が異なり、歴史的にポーランドハプスブルク家支配下にあり混血も進んだLvivなどの西側地域では親ヨーロッパで独立意識が強く、スターリンによって強制移住させられたロシア人が多い東側の地域では親ロシアな人が多く互いに対立している。日本人にとって戦争とは70年前に終わった出来事だが、ウクライナ人にとっては友人や家族が殺されている現在進行形の悲劇であり、ウクライナ人のロシアに対する憎しみや怒り、またはロシア系ウクライナ人のウクライナ政府に対する憎しみが痛いほど伝わって来て心が揺さ振られた。来年の三月に大統領選挙が行われるが、大衆迎合的なティモシェンコ(美しすぎる首相と日本でも話題になった)と対立する現職のポロシェンコがeducatedな人々にとっては推しのようだった。ウクライナの平和を願うばかりである。

9/30 チェルノブイリ

V君とLちゃんと1986年に原発事故があったチェルノブイリに行った。ウクライナを含めて30ヶ国を旅して来たが、チェルノブイリは本当に特別な場所だった。これは行ったらちょっと人生が変わるかもしれない。

ウクライナ人は寿司が好きらしい。朝8時にツアーのバスが出発するのでLちゃんと5時半起きして頑張って中央駅まで行き、ウクライナの寿司はヤバイと聞いていたのでチェーンの日本食レストランに入った。日本食は人気らしく、街を歩いていると1分に一度のペースで見かけることができる。ジュネーブにも欲しいね!と二人で感激していたが、サラダの中に芋虫を見つけて無言になった。

事故が起こったチェルノブイリ原子力発電所第4号炉の周りは10km, 30kmのexclusion zoneになっており、バスで通り抜ける際は事前登録した情報と照らし合わせるためのパスポートコントロールがあった。exclusion zone内には複数の街(今は廃墟)+原子力発電所+ソ連のミサイル発見レーダー(OTHレーダー)があり、それらをガイドさんが丁寧に説明してくれた。

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1986年発行のソ連の新聞がそのまま放置されている。

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廃墟の一つにあったチェブラーシュカのぬいぐるみ

ベラルーシとの国境に位置し、今では10kmゾーンに入っているプリピャチという街はチェルノブイリ原発で働く労働者のために設計された計画都市で、"The best city of Soviet Union"と言っていたらしい。バスの中で見た事故前のプリピャチの街は美しく、川も文化センターも運動場もある完璧なソビエトの街だった。

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ガイドが持っている写真が同じ位置のビフォーアフター。完璧なソビエトの街は森になってしまった。

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Red forestという事故発生時に風下に位置し、放射線で葉が赤く枯れてしまったことでそう名付けられた森。汚染された木は地下に埋められ新たな木が植林されたが、汚染物質は地下に埋められただけなので放射線濃度は依然として高く、誰もここから先は立ち入ることができない。

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チェルノブイリの食堂でいただいたソビエト人民食。労働者は同じメニューだが2倍の量を食べるらしい。CERNの不味いレストランに慣れているLちゃんと私はこっちの方が健康的で良いと思った。

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(元)保育園での写真。ハーモニーという映画の一シーンを彷彿させる。

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OTHレーダー。写真だとサイズ感がよく分からないが高さ150mあり、かなり壮観であった。当時はソビエトの秘密軍事基地で、労働者は年に数日しかここを離れることが許されなかった。これは受信機で、送信機はソビエト内に三箇所存在したらしい。

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活躍した除染員や消防士を讃える石碑。生き延びた消防士達の手によって掘られたらしい。今でも4/26にはサイレンを鳴らしながら原発を周り、犠牲者を追悼するらしい。

とても語りきれない。

三人で最高のウクライナ料理の晩御飯を食べ、V君に別れを告げLちゃんと共に西方最大の都市、Lvivに夜行電車で向かった。

10/1, 2 Lviv

Lvivはチョコレートやコーヒーが有名で、お気に入りの店を見つけ二日連続で行ったりした。Oちゃんの親友Aちゃんを紹介してもらい彼女の彼氏とともにフリーメイソンのバーやUkrainian Nationalist Style Restaurant (笑)に行ってどれも最高だったがチェルノブイリのことを書いた後だと書く気がしない。

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フリーマーケットUSSRの軍人のバッジを手に入れた。私はこういうのが好きである。

最後に

ウクライナは私のお気に入りの国、キエフは私のお気に入りの街になった。

主食はじゃがいものようである。全体的に食べ物のクオリティは高く値段は安く、24時間営業のスーパーも沢山ありスイスに慣れている我々は泣き出さんばかりであった。Lvivで食べたブラウニーとココアは人生の中でダントツの味だった。

ウクライナ人は優しくて美しい。アメリカ人のような超絶フレンドリーな接客はしないが、困っていたら助けてくれるし気が効くし観光客にとても親切だし、裏表のない素直な性格をしている。

キエフに住んでみたい。ロシア語を勉強したい。キエフ以外にも色々な東欧の街に住んでみたい。ウクライナ人が何を考えているのか理解したい。V君やOちゃんの気持ちを理解したい。ジュネーブに帰りたくない。日本に帰りたくない。

私は完全にファンになってしまった。

高校受験の選択と反省

人生の選択に参考になる人のブログを読むのが好きなので、私もどこかの中学生の選択の参考になることを書きたいと思う。何故今更高校受験かというと選択をしてから一定期間経たないと客観的に語れないと思うから。(それでもちょっと恥ずかしいけど)

回想開始

中1から塾に通い始めた。小学生の頃は多摩川で泳ぐか本を読むかしかしていなかった子供なので親が流石に心配したらしい。塾では常にトップのクラスだったが、初めて他人に勉強で負けるという経験をした。記憶がある中で初めて悔し泣きをした。

中学は普通の公立中で、仲良い人達も特に勉強に興味があるわけでもなかったのでテニス部をしたり図書委員長をしたりコミケに行ったり一年に読んだ本の数を競ったりして標準的なオタク中学生の生活を送っていた。塾では初めて本気で競い合えるライバル的な友達が出来てとても楽しかった。

中3になって、受験のことを真剣に考えざるを得なくなった。数学が壊滅的に出来なくて(日比谷高校の過去問で9点とか取ったこともあった…)塾長に心配されていたが受験期には満点取れるようになった。親は日比谷高校推しだったが塾の仲良い人が西高を受けるというので西高を受けることにした。

先生は進学実績作りたいし親は私が頭いいことを信じれないらしいらしく滑り止めを受けさせたがったので、たくさん受験した。市川、國學院久我山、豊島岡、慶応女子、学芸大附属、西高の推薦と一般入試を受けて西高の推薦以外全部受かった。


そして、人生で一番迷ったくらいの迷いが生じた。正直高校は大学に受かるまでの間にどう遊ぶかだと思っていたので、楽しそうかつ同級生がある程度優秀ならこだわりは無かった。男子と話すのが楽なタイプだったので女子校は除外、市川と國學院久我山はレベルがちょっと低いから除外して西高と学芸で死ぬほど迷った。

家から近いしレベル高いしセーラー服可愛いしで学芸に傾きかけて、入試後の説明会に行った。そこで校長が「我が校は日本一優秀で(意訳)、受験に囚われずに自由な勉学を(意訳)」のような事を言っているのを聞いて幻滅してしまった。ちなみに慶応女子の説明会も校長が「慶応大学は東京大学より優秀じゃないけど映画スターからなんとかまで幅広い人材を排出しています!(意訳)」みたいなことを言っていて幻滅した。

そのことと、仲が良い塾の友達が西高に行くので西高に行くことにした。彼らは本当に頭が良くて本当に尊敬していて、彼らの成長が間近で見たいと思った。

回想終わり


賢そうじゃない子供だったしあまり勉学に興味無かったので、高校に受かるまでは本当に自分の頭が良いのか自信が全く持てなかった。裏を返すと高校受験を通して勉強に自信が持てるようになって良かった。

反省点としては、友達に流されすぎたこと。結果的に西高は高校の中ではマシな高校だったが、進学先を決めるのに友達が行くからだとちょっと恥ずかしかった。振り返ると情報オリンピックやなんとかオリンピックや課外活動を重視している高校〜などを考慮に入れても良かったかもしれない。