若き情報系研究者のアメリカ

東大理学部からアメリカの博士課程に進学する人のブログです

アメリカ博士課程留学 − 立志編

はじめまして、00_です。私は現在東京大学の学部4年生で、2020/2/13現在、10校出願したコンピューターサイエンスの博士課程プログラムのうち8校(MIT, Stanford, CMU, UW, Harvard, Brown, Princeton, UMD)から合格を頂いており、第一志望のMITに進学する予定です。残りの2校(UCSD, UCB)については結果待ちです。

全ての大学の結果が出揃ってから留学についてのブログを書こうと思っていましたが、合格を頂くにつれ出願までの辛い記憶が徐々に薄れつつあり、臨場感が伴った文章を書けなくなるのではと思いこのタイミングで立志編を書くことにしました。また、合格してから沢山の方にフォローされ、「天才ですね」というコメントを沢山頂くのですが、そんなことはなく、秀才が努力した結果が出ただけなんだということを伝えられればなと思います。この記事では、学部生活の概観、また「留学を決意するまで」の紆余曲折について話したいので、自分語りで少々取り留めのない書き方になってしまっています。論文数など私のスペック(という言い方は好きではないですが)、出願の戦略について、toefl/GREの点数やGPA、インターンや研究室訪問などについては近いうちに別の記事を書きます。

私が出願まで至ることが出来たのは本当に沢山の先輩方、先生方の多大なご支援のおかげです。この場を借りてお礼を言わせてください。五十嵐研究室の五十嵐先生と福里先生は研究経験が全くない当時の私を研究室に受け入れて下さり、研究者として必要なスキルを0から教えてくださいました。彼らのご指導が無ければ論文が出せていなかったので、当然大学院に合格することも出来ていなかったと思います。五十嵐研の皆さまにも研究のアドバイス、書類の添削や発表のフィードバック等様々にお世話になりました。情報科学科の萩谷先生をはじめとする先生方には、有意義な生活を送れるよう様々に取り計らって頂きました。CERNの上司、グループリーダーや同僚のおかげで世界最高峰の研究機関で研究や開発の経験を積むことが出来ましたし(詳しくはこちらを読んでください)、第一志望の研究室の教授はいきなりメールしてきた謎の学部生であった私をインターンで受け入れ、推薦状まで書いてくださいました。また、何の実績も無い頃から留学の背中を押してくださったRui Ueyamaさん、超多忙な中SOPや出願書類の添削、様々なアドバイスをしてくださったAkari Asaiさん、Motoya Ohnishiさんをはじめ、全員のお名前を挙げることが出来ない程多くの先輩方に添削やアドバイスをして頂きました。私が辛かった時期に背中を押してくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。

はじめに

大学に入学した当初からほのかに憧れていた大学院留学。世界でトップの大学で博士号を取ることは、前期試験に落ちて後期で東大に入り、前期教養の進学振り分けの点数も平均くらいだった私にとっては遠い遠い、いわゆる「天才」と呼ばれる人達だけに可能な夢物語の世界だと思っていました。

外部に大学院留学をする仲間を増やしたくて、今まで何人もの知り合いに留学を勧めました。決まってと言ってもいいほど、「すごく興味はあるけど、受かる気がしないから辞めておく」という返答をもらいました。しかし、大学1,2年の私は誰がどう見てもトップ大学に受かるとは到底思えない学生でした。学部生では主体的に動かなければ研究経験も積めないですし、周りを見ながら何となく人と同じことをやっているだけでトップ大学に「受かりそう」な学生になれるほど、日本の大学のレベルは高くなく、そんなに甘くはないと感じます。逆に、多少犠牲を払ってでも他の学生と違うことをする決意があれば、「受かりそう」な人になれる可能性は充分にあると思います。私の場合、まずは大学院留学がしたいという(当時の実力から言うと到底達成できそうにない)目標を決め、目標を決めてしまったのだからそれを実現するために努力するという方針を取りました。

このブログを読んでくださっているということは、読者の方々は多少留学に興味があるのだと思います。もし本当にその気があるなら、私生活を多少犠牲にし、同級生が遊んだり、就活や院試をしている間も研究や勉強をする決意をしてください。また、海外の先生にメールでいきなりコンタクトを取ったり、訪問をしたりするバイタリティも必要です。他の人と違う目標を目指すというのはかなり孤独感・疎外感がありますし、あまり友達も出来ないかもしれません。それでも良いと、出願をすると決心が出来た方は、当然ですがそれだけで決心していない人に比べて既に合格する確率が圧倒的に高いです。

留学を志した動機

私にとって、留学の一番大きな動機は、コンピューターサイエンスの分野だとアメリカは間違いなく世界一であり、このような競争が激しい環境で自分を試したいと思ったことです。この記事にも書いた通り自分には「より多くの、美しい景色を見たい」という根源的な欲求があり、世界トップの大学でストレスで死にそうになりながら博士号を取った後は世界がどの様に見えるのか、非常に非常に強い興味がありました。

また、スイスでインターンをした際に海外に住むことの楽しさに病み付きになりました。異文化に触れるのが大好きで、自分の知らない世界で生きてきた友達を作ること以上に楽しい事はないと感じました。海外にいると、自分と同様に海外に出てきた外国人と仲良くなるのですが、わざわざ外国に移住しようとする人は面白い事が多く、気が合う人が多いと感じました。

よく言われるのが「アメリカだと博士課程は給料が出るよ!」という言説ですが、これは必ずしも真ではなく、大学・研究室によるとしか言えないと思います。コンピューターサイエンスの分野はどの国でも資金が潤沢な為、資金面で言うと特にアメリカだから良いわけではないと思います。

出願に至った経緯(大学入学時から振り返り)

2015年度

海外の大学院に進学したいという気持ちは東大に入学した当初からありました。しかし、自分は高校時代に何の活動もしておらず、○○オリンピックなどの業績も無く、しかも前期の入試に落ちて後期で入学したため「私なんかが到底できるものではなさそう」と考えており、人に話しもしませんでした。東大に入学した当時は他の東大生に比べると客観的に見ても全く優秀ではない学生だったと思います。

高校までは沢山遊び、それはそれで楽しかったのですが、スキルというスキルがない自分に焦りを感じていました。入学後、サークルの新歓の時期に見つけたTSG(東大のコンピュータ系サークル)に入り、そこでプログラミングを学ぼうと思いました。TSGは非常に優秀な人しか居らず、情報オリンピック出場者、セキュリティキャンプ参加者、赤・黄コーダー、CTFで全国一位を取った人、基本情報当時最年少取得者などで溢れかえっていました。その当時、プログラミングの未経験者は自分しか居ませんでした。そんな贅沢な環境で同期や先輩に、文字通り0からパソコンについての知識を教えてもらっていました。サークルの人々には本当に感謝してもしきれないです。

超優秀な方々に手取り足取り教えてもらったお陰で、1年の秋頃には簡単なプログラムが書けるようになりました。10月頃にあったサークルのLT大会で、顔認識してメガネを掛けるプログラムを作り発表した覚えがあります。競プロやCTFも少しだけ手を出し、学びが多かったと思います。高校2年までは文系に行こうと思っていた人間で、かつ生物選択なのに理一に入ってしまったという非優秀勢だったので、大学の授業に苦戦しながらプログラミングをやっていたら1年があっという間に過ぎました。1年の夏は運転免許を取り、冬は英語の勉強をして英検1級を取っていた覚えがあります。

2016年度

2年に上がると授業が少し暇になり、社会経験だと思いホテルのバーでバイトをしたりしました。また、セキュリティキャンプに応募し、選考に通ることが出来ました。2年の夏はセキュリティキャンプ&研究室インターン&南米に1ヶ月旅行という過密スケジュールを過ごしており、ある意味とても大学生らしい生活でした。セキュリティキャンプに行った頃から、プログラミングが少しは出来るかも?と思い始めました。

東大は進学振り分けと言って、2年の夏に成績に応じて学科を振り分ける儀式があるのですが、無事第一希望の情報科学科に配属されました。この頃から海外留学を本気で視野に入れ始めていたため、秋学期の情報科学科の授業はとても頑張り、優や優上を沢山取ることが出来ました。

3年に進学し本郷に行くのを楽しみに、2年の春休みはワクワクしていました。しかし、ここで最大の誤算があり、なんと総合科目の単位の取り忘れで留年することが3月末に発覚しました。その結果、教養学部から卒業できず、進学先の内定も取り消しになりました。この留年は流石に予想外過ぎて、かなりショックを受けました。すぐに親や彼氏や留年した先輩などに泣きながら連絡し、慰めてもらった覚えがあります。留年が決まった当初は完全にパニックでしたが、同じく留年したTSGの先輩の勧めでGoogle Summer of Code(GSoC)という、オープンソースのプロジェクトに貢献できるプログラムに応募することにしました。

通常は、ここでまた2年生を繰り返すのですが、2年の秋学期は専門の授業を頑張っていたため割と優秀で、特に頑張った授業の先生の後押しもあり、特例で情報科学科の3年生の授業を履修出来ることになりました。正式な履修ではないので今年度の単位は出ないが、来年度正式に進学した際に単位を出していただこうという算段です。この神の救いの手が無ければ今の私は本当に無いと思うので、情報科学科の教授・事務の方々には一生頭が上がらないです。

2017年度

特例を出していただいた以上、優上以外の成績を取っては失礼だと思い、3年生の授業は本当に頑張りました。情報科学科の3年の授業は課題量が特に多く、起きている時間は常に課題が終わっていないという焦燥感を感じていました。当時はGoogle STEPというプログラムに加え、GSoCもやっていたので今までの人生で一番忙しく、あまりのストレスで頻繁に泣いていました。内定が取り消しになったため進学振り分けのプロセスをもう一度通らなければならず、前期教養の成績があまり良くなかったため情報科学科に進学できるかも心配でした。この時期は本当によく頑張ったと思うので、自分で自分を褒めてあげたいです。

結果的に、かなりギリギリだったとはいえ情報科学科に進学することができ、GSoCも高評価で終える事が出来ました。GSoCでお世話になった、CERNにいるメンターから1年間CERNインターンしないかというお誘いがあり、特例で3年生の講義を履修しているものの、卒業が一年遅れるのは確定な私としては天啓と言うしかない申し出でした。当然喜んでお受けし、翌年の春頃(正式に3年生に進学するタイミング)から1年間CERNで研究インターンをすることになりました。

Googleの夏のインターンにも通る事が出来ました。なので3年の夏はGoogleインターンに行くつもりでしたが、GSoCとGoogleインターンの両立は規則上出来ないという事がインターン開始1週間前になって発覚しました。そこで、インターンは冬に延期してもらい、夏はアメリカに語学留学に行くことにしました。当時から英語が出来ない方ではありませんでしたが、GSoCでskypeミーティングをしていた際、自分の言いたい事が上手く言えない上に、メンターが何を言っているのか聞き取れないという事態に何度も遭遇し、口頭でのコミュニケーションは改善の余地があると思っていたため、語学留学は役に立ちました。先生が私のことを「今まで会った生徒の中で一番優秀」と言ってくれる程可愛がってくれて、その後も渡米するたびにお会いするほど仲良くなれました。アメリカの政治や文化について詳しくなれたのも良かったと思います。その先生はバークレー卒で、アメリカの大学院に行くことを強く強く後押してくれたため、本当に感謝しています。

3年の冬学期はCPU実験という名物講義があり、情報科学科を志望した時からこの講義は頑張ろうと決めていました。したがって、他の講義の勉強を若干犠牲にしながらもCPU実験に全力投球していました。結果はこの記事にまとめましたが概ね好評で、多くの人に読んでいただく事が出来ました。また、San Joseで開催されたLLVMのミーティングに行き、初めての国際会議に震えながらもGSoCの成果を発表しました。研究に興味があったため、12月頃に五十嵐研究室にコンタクトを取り、以後今に至るまでお世話になっています。

春頃、CERNとの調整でインターンの開始が3月ということになってしまい、延期させて頂いていたGoogleインターンは最短2ヶ月なので行けないことになりました。残念でしたが、逆にCPU実験に打ち込む時間が増えたのは良かったです。

2018年度

3月にCERNがあるスイスに渡航し、そこでの一年の様子をこの記事にまとめました。一般論として、自分のことを知る人が誰も居ない環境、しかも非英語圏の外国で、チーム最年少のメンバーとして自分の実力を認めさせなければならないという状況は、最初は精神的にも肉体的にも本当に辛いです。しかし一旦溶け込んでしまえば、生活も楽しく、研究成果も目に見える形で出すことが出来たのでとても良かったです。CERNでの研究成果が2本の国際学会のフルペーパーにまとまっただけではなく、同時並行して五十嵐研究室で行なっていたグラフィックスの成果もポスターにまとまりトップ会議で発表を行うことができ、賞も取る事ができました。この時点で、知り合いや教授に大学院留学を相談したら「君なら絶対受かる!是非やりなよ!」と言ってもらえるくらいに優秀になる事が出来たので、学部を卒業してすぐに博士課程に進学するという気持ちが固まりました。

2019年度

2019年の3月にCERNから帰国し、4月から4年生になりました。グラフィックスの分野で目に見える成果がもう一つ欲しかったため、SIGGRAPH Asiaというトップ会議のtechnical brief(tb)を目指して研究を頑張ることにしました。また、12月には出願が控えているため、テストを受けたり奨学金の書類を準備したりなど、出願準備も着々と進めていきました。数は少ないですが授業も取っていたので、全部優上が取れるように頑張りました。

8,9月の夏休みは、2018年の11月頃にコンタクトしていた第一志望のJonathan Ragan-Kelley教授の研究室にインターンに行くことになりました。このインターンについては改めて記事を書きたいと思いますが、結果的には教授に評価して頂くことができ、推薦状まで書いてもらうことができました。インターン期間中に、Stanford, UW, CMU, MITにも研究室訪問を行い、教授や学生としっかりと議論が出来たことで、出願への自信に繋がっただけではなく、選考の際も非常に有利に働いたと思います。

帰国後は、奨学金の面接や出願準備で頭が一杯でした。船井奨学金に採択して頂いたことは出願に有利に働いただけでなく、「どこかには確実に受かるだろう」という自信にもつながりました。また、SIGGRAPH Asiaのtbに採択して頂くことが出来たため、発表をしにオーストラリアに渡航しました。

振り返ると、人からの後押しと思いがけないハプニングをいい方向に利用する事で合格することができたと感じます。留年に関しては、結果的にはGSoCを行えたことでCERNでのインターンにも繋がるなど良いことしかなく、塞翁が馬とはこういうことを言うんだなと思いました。結局、海外の大学院を本気で志望した動機としては、「元々興味はあったが、成果を出し、人から後押しして頂く事で自信を付け、出願に繋がった」というストーリーにまとまると思います。

出願の大変さ

経緯を読んでくれた方の中で、もしかしたら「この人は超優秀じゃん、何もしなくても受かるでしょ」という感想を抱く方もいるかもしれません。しかし、私は天才タイプでは決してなく*1、普通の才能と強いメンタルを努力で磨いてきた人間だと自己評価しています。世界でトップの大学院、しかもコンピューターサイエンスは競争が非常に激しく、多少の天才は目立ちもしないため、最後の最後まで自分は本当に合格するのかという疑いは拭えませんでした。東大の大学院を受けなかったため、来年は大学院に全落ちしてニートになっているかもしれないというプレッシャーも常にありました。

また、学年が一つ下がっているため同期に話せる人があまり居らず、4年の時は授業に行ってもあまり楽しくありませんでした。就職活動や東大の院試の勉強をしている同期や元同期を見て焦りを感じ、私はそれよりもっと高みに行くんだと思いつつ、これで失敗したら馬鹿にされるだろうなという気持ちもありました。船井奨学金に採択されるまでは身近に海外留学を志す友人が居ませんでしたが、ツイッターで話したりたまに情報交換をする知り合いを作ることは出来ました。東大にいる事はそのような仲間を作りやすく、留学した先輩も多い点で有利だなと感じました。

最後に

この記事では、質問箱でもよく聞かれる、私が出願に至った経緯について話しました。実践的な出願の戦略についても沢山の質問を頂いている為、また別途記事を書きたいと思います。自分の辛かった経験・感じたことなどを率直に書いているため公開するのが少々恥ずかしいですが、トップ校に受かる人も普通の人間だということが分かってもらえると思います。最後まで読んで頂きありがとうございました。もし応援したいと思って頂けるなら、ほしい物リストから何か送っていただけると嬉しいです。送って頂いた本は全部読んでいます。

*1:今まで散々本当に自頭が良い人々に出会ってきましたが、自頭だけで言うと私は彼らの足元にも及びません。