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アカデミア就活振り返り Part 4(オンサイト面接編a)

いよいよ今回から、オンサイト面接について書いていきます。書類審査Zoom面接に通るとオンサイト面接に呼ばれ、オファーの前の最終ステップとなります。オンサイト面接は1日から2日、朝から晩まで対面で面接が続くという、候補者にとっても大学側にとっても大変なイベントです。オンサイトに関しては沢山知見があるため、いくつかの記事に分けて書いていこうと思います。今回は概要編です。

オンサイト面接の流れ

Zoom面接の後、大体数週間後にオンサイト面接の連絡が来ます。アメリカ就活あるあるなのですが、もし次のステップに進まない場合は往々にして連絡が来ない、サイレントお祈りが一般的です。連絡が来た場合はメールで数週間後から1,2ヶ月後の予定を聞かれ、日程を決めるために秘書さんと何往復もメールを交わします。日程が決まった後は、「faculty host」と呼ばれる、候補者を案内したり面接の日程を組んだり等、全体的に面接がスムーズに進むよう調整する役目の教員が一人アサインされ、その人と主に連絡を取り合っていくことになります。

オンサイト面接の1,2日前には面接のスケジュール(朝何時に誰が迎えに来るか、ジョブトークや面接の時間、晩御飯や休憩の時間などなど)がfaculty hostから送られて来ます。一般的なパターンは、面接の前日の飛行機で現地入り、朝8時にホテルで面接官と朝食、9時に大学に移動、9:30-11時に30分ごとの1-on-1面接、11-12:30にジョブトーク、12:30-2時まで3,4人の教員と昼ごはん、2-6時まで30分ごとの1-on-1面接、6:30から複数の教員とディナー、といった感じでしょうか。これは1日目で、2日目がある場合はこれと同様、または飛行機の時間に合わせて昼過ぎに切り上げるようなスケジュールが組まれます。ご想像の通り、一人になれる時間などほぼ存在せず常に人と話しているのでだいぶ疲れます。

オンサイト面接が終わり家に帰った後、私はfaculty hostにホストしてくれてありがとう&無事に着きましたメールを送っていました。また、旅費や交通費や食費は大学側から出るため、レシートをまとめて事務の方に送るという作業も必要です。それが終わった後は、吉報を待つだけです。

ジョブトークや1-on-1の準備など色々とやれることはあるのですが、正直オンサイト面接は体力・気力・コミュ力勝負だと思います。私の場合、先述のような二泊三日以上のオンサイト面接が毎週、2ヶ月間にかけて合計10回あったため、とにかく睡眠だけはしっかり取れるように、メラトニンを飲んで調整していました。理系のアカデミア就活というイメージとは真逆かもしれませんが、オンサイト面接に関しては陽キャが圧倒的に有利だと思います。食事中も車での送迎中もとにかく常に教員と話し続ける必要があるため、研究以外の趣味の話題やジョークなどでも盛り上がれると良いと思います。結局、向こうに「こいつは面白い、同僚にしたい」と思ってもらうのが大事なので。

面接エピソード1

前回の記事で触れましたが、私の人生初のオンサイト面接は11月中旬に行ったUAEの大学でした。9月ごろにいきなり「グループ面接に来ないか」とメールが届き、恐る恐るパスポート等の情報を送ったらチケットを渡され、スケジュール等何も知らされないままボストンからUAE行きの飛行機に乗りました。空港で迎えのタクシーが来てくれていましたが、英語があまり話せない運転手の方と行き先も分からずアラビア半島の砂漠を爆走している間は、「人身売買」という四文字が頭をよぎりました。

結果的に、とても楽しく、よくして頂いたオンサイト面接でした。現地に着いた日の翌日は他の候補者と共に街をまわるツアーに参加し、翌々日はオアシスにある高級リゾートでグループ面接がありました。ジョブトークの時間が30分と通常に比べると半分の時間だった上、グループ面接ということで一般的なオンサイトに比べるとわちゃわちゃとした雰囲気でしたが、面接の空気感を掴む上でとても参考になりました。

なぜ私を招待してくれたのか聞いたところ、Rising Starイベントに参加した際に選考を担当した教員が私のことを非常に気に入ってくれていたらしく、その方が推して下さっていたようでした。

面接エピソード2

2回目のオンサイト面接、そして初のアメリカでの面接は、私が来年の1月から着任予定であるコーネル大学でした。12月中旬にZoom面接を行い、1月初旬には連絡が来たのですが、「早めにスケジュールをしてくれ」と押され、結局1月末にスケジュールしました。志望度が高かったため、他の大学の面接をこなして経験を積んだであろう2月下旬から3月初旬にスケジュールをしたかったのですが、先方があまり柔軟ではない時も多々あります。行ってから知ったのですが、私がシーズン初のオンサイト面接に来た候補者だったようです。

コーネルのオンサイトが決まってから1月中になんとかジョブトークを準備し、あと数日で面接だという時点で大問題が発生しました。アメリカ全土を猛吹雪が襲った影響で、私が乗る予定だった月曜の便がキャンセルされるというのです!面接に行けないのは論外のため、キャンセルが決まった当日(土曜でした)中になんとかイサカに行く方法を必死に考えました。ボストンから長距離バスも出ていましたが、幸にして飛行機を土曜日に振り替えることができたため、吹雪の前に現地入りすることができました。そのため、コーネルには3日分余計に食費と宿泊費を払ってもらうことになり、「怒られるのかな」と少し不安でしたが、結果的にこの判断は大正解でした。Faculty hostの方から「決断力と行動力があって素晴らしい」というようなことを何回も言われ、塞翁が馬だなと思いました。

コーネルの候補者は全員、イサカキャンパスだけでなくコーネルテックキャンパス(私の勤務地です!)でも面接があるため、イサカでの面接が終わった直後にバスでニューヨークに向かいました。コーネルテックでの面接の後はNYUの副島さんとブランチを食べ、Amtrakでボストンに戻る予定だったのですが、ここでもまた前述した大雪の影響でAmtrakが大幅に遅延しました。

面接エピソード3

シンガポールでの面接のためNYCからボストンに戻ってくる当日の夜にボストンを出発する便を予約していたため、遅延の影響で自宅への滞在時間が2時間を切ってしまいました。コーネルに5泊した分の着替えを洗濯し、シャワーを浴び、シンガポールに行く準備をしてほぼとんぼ返りで空港に行きました。時差ボケを面接までに緩和するため、シンガポールには面接当日より1日半早く現地入りしていて、到着した後は頑張って観光をして時差ボケを直すように努めました。

シンガポール観光もシンガポールの大学でのオンサイト面接もとても楽しく、ご飯も美味しく、充実した時間を過ごすことが出来ました。アメリカの大学はオンサイトが終わってからオファーが出るまでに最低でも数週間かかるところが多いのですが、シンガポールの大学では面接した当日の夜にはオファーを出して頂くことができ、精神衛生上良かったです。私にとってはそれが最初に出たオファーでした。

ボストンに帰ってきた後、数日後には別のアメリカの大学でのオンサイト面接がありました。時差ボケがなかなか治らず、ジョブトークが午後にスケジュールされていたこともあり、面接でのパフォーマンスが通常よりも悪かったなと感じました。そこでの反省を活かし、それ以降はメラトニンを飲んで強制的に寝ることにしました。アメリカは東西で時差がありますし、イギリスにも面接で行ったので、時差ボケへの対策は早めにしておくべきでした。


ここまで読んでいただきありがとうございます。次回は、もう少し具体的な準備について書く予定です。

アカデミア就活振り返り Part 3(Zoom面接編)

前回のPart 2に引き続き、今回はアカデミア就活のZoom面接について書いていきたいと思います。連載形式で書いていますので、Part 1から読んで頂けると話が繋がると思います。

今回は、公募からZoom面接前後の話をしたいと思います。

Hiring freezeについて

Zoom面接の話を始める前に、前回の公募の話の続きでhiring freezeの話をしたいと思います。コンピューターサイエンス分野だと従来はどの大学も一年に一人は新しい教員を雇うのが一般的でしたが、トランプ政権がNIHやNSF、各大学に圧力をかけファンディングを縮小した影響で、2025年と2026年度は平年よりも公募が少なくなりました。2027年度も急激に回復するとは思えないため、今から出そうと考えている方は注意が必要です。

実際、私が出した2026年度は以下の大学がhiring freeze、つまり公募なしという状況でした。
Caltech
UCSD
UCLA
UC Santa Cruz
UC Santa Barbara
Harvard
Yale
Brown
Northeastern
Northwestern
Duke
BU
USC

選択肢が少なく、自分が興味のある大学から公募が出ないのは残念なことですし、実際「今年はジョブマーケット厳しかったね」とよく話題になります。個人的には、去年の今頃には厳しいであろうことは分かっていましたが、公募を出す大学がゼロではない以上何処かからはオファーが出るのではないかと楽観的な姿勢で臨みました。分野でトップの候補者であればどんなに悪い年でも何かしらのオファーは出ているようなので、準備が出来たと自分自身が思うなら出した方が良いのではないかと思います。教員になってから大学を移る人も沢山いますし。

Zoom面接の流れ

書類やオンサイト面接に比べてZoom面接は影が薄いですが、油断は禁物です。先輩から、「自分はZoom面接でなぜその大学に行きたいのかハッキリ言えず、オンサイト面接に繋がらなかった」と怖いアドバイスを受けたため、私はある程度準備をしてZoom面接に臨みました。結果的に、Zoom面接をした大学からは一校を除いた全ての大学からオンサイト面接のお誘いが来たため、準備が功を奏したと思います。

11月末に公募を出した後、連絡が来るかどうかソワソワする数週間から二ヶ月弱を経て、各大学からZoom面接に招待するメールが届きます。大体、「下記の日程から都合が良い日を教えて〜」というパターンが多いですが、「明日空いてる?」等、突然なこともあります。2月中旬まではいつ何時Zoom面接の連絡が来ても大丈夫なように、心の準備をしておく必要があります。

時間は15分から1時間まで多種多様ですが、流れは大体同じです。Zoom面接の連絡が来たら、どの教員が面接するのか(大体3-7人はいます)を聞いて、彼らのバックグラウンドを少しは調べると良いと思います。

Zoom面接の内容・準備

私の個人的な肌感覚として、Zoom面接ではソフトスキル(研究の説明、質疑、会話が教員としてのレベルに達しているか)と、「この大学にどれだけ興味があるか」が見られていると思いました。Zoom面接は時間が短い上に聞かれることが定型的なため、事前の準備が大きく明暗を分けると思います。私は、想定される質問と自分の回答をGoogle docsに書いて、Zoom面接中チラチラと見れるようにしました。

「What is your research?」や「What are your research plans for the next five years?」は、ほぼ確実に一番最初に聞かれます。明示的に「なぜこの大学の教員になりたいか」と聞かれていなくても、research planを話す時には「この大学のこの人とコラボレーションしたい〜」「この教員とは研究分野が近く、良いディスカッションが出来ると思う〜」といったように、その大学に興味あるよ、ちゃんと下調べしましたよ感を出すように頑張りました。自分と近い分野の教員の名前を調べるのは必須だと思います。

教育に関する質問、「Which course can you teach?」や「What is your teaching philosophy?」などもよくある質問です。こちらも、大学のウェブサイトで既存の授業を調べて、どの授業を担当できるか、もし新しい授業を作るとしたらどのようなことを教えたいか等、具体的に回答できると良いと思います。

「Why <大学名>」や「How do you feel like living in <都市名>」も少ないですが聞かれます。やはり大学としてもオンサイト面接には本気でその大学で働きたいと思っている候補者を呼びたいわけで、なぜその大学が魅力的なのか、その街や州に住むことに対してどう感じているのか等、先方としても気になるところだと思います。

最後に、「Do you have questions for the committee?」と必ず聞かれますので、2,3個は質問を用意しておきましょう。私は大学について調べた上で気になったこと(CSとEEが分かれている場合、EEとコラボレーションすることは可能であるかや、college/school/departmentの仕組みが複雑な大学が多いのでその辺りとか)を聞きました。やる気を見せる点で質問することはとても大事です。

以下のようなウェブサイトで想定質問に対しある程度練習することもできます。
Interview Questions for Computer Science Faculty Jobs

イレギュラーなケース

非常に珍しいケースだと思いますが、「公募に出していないのに面接の連絡が来る」ということが2回ほどありました。一つ目は11月にグループインタビューに呼ばれたUAEの大学で、Part 1に書いた通り9月ごろにいきなりメールが来ました。二つ目は、12月初旬にアメリカの某有名州立大学から「ウェブサイトにfaculty job market出ているって書いてあるね。もし興味があればうちの学科に応募してね」と連絡が来ました。その大学のCSには出していましたがECEには出していなかったためすぐに書類を公募に出し、なんとメールが来た翌日にZoom面接をすることになりました。どちらの大学も最終的にオファーを頂けました。

また、Zoom面接中にハプニングもありました。とある北米の大学と面接中に、オフィスの火災報知器が鳴り止まなくなり、一旦Zoomから抜けてEECS adminのオフィスまで走り、事情を説明して空いていたオフィスを急遽使わせてもらいました。5分から10分程度のロスタイムが発生し、またハプニングによってその後もベストパフォーマンスを出せなかったかな、と思い落ち込みましたが、その大学からはオンサイト面接に呼んでいただけた上オファーも頂けました。

Zoom面接後に面接官にメールでフォローアップするのは必須ではないと思いますが、私は特に行きたい大学や、言い残したことがあると感じた時にはフォローアップのメールを出しました。例えば、火災報知器が鳴ってしまった面接の後には、時間をとって頂いた感謝と共に、「Sorry for the interruption」というような事を書きました。他にも、何か聞かれた時に完璧に答えられなかったことや、面接官が話していて特に面白いと思った事など、できるだけ一般的にならずパーソナライズするように気をつけました。特に言うことがないと感じた面接では、フォローアップは送りませんでした。

面接によって「数枚スライドを準備して来てください」と言われることもありましたが、私はその場合でもスライドは準備せずに臨みました。というのも、私の専門であるプログラミング言語・コンパイラの分野では、美しい画像や動画が研究成果としてあるわけではないので(ダイアグラムや数式しかないのでむしろugly...)、過去色々な人に自分の研究内容を説明する中で、逆にスライドがない方が私の話に集中してもらえ、相手に分かってもらえる確率が高いなと感じていました。なので、スライドがあると逆に邪魔になると思い、用意せずにトークだけで面接に臨んでいました。今思うと舐めすぎやろと思います...。グラフィックスやHCIなど、視覚情報が多い分野の方は絶対にスライド準備した方がいいと思います。

次回はいよいよ、オンサイト面接に関して書いていこうと思います。

アカデミア就活振り返り Part 2(書類審査編)

前回のPart 1に引き続き、今回はアカデミア就活の書類準備について書いていきたいと思います。

北米でのアカデミア就活では、Research statement, Teaching statement, 3-4通の推薦状, Cover letter, CVが必要になります。場合によってはDiversity statementを要求されることもありますが、トランプ政権がDEIに圧力をかけている影響で、Diversity statementが必須の大学が昔よりも少なくなっている印象を受けます。

毎年11月から12月にかけてどの大学も公募の締め切りがあるため、公募に出す年の秋から準備をする必要があります。私は8月の終わりにはstatementの第一稿を書き上げ、9-10月に複数の知り合いの教員から添削をして頂きました。

書類審査がアカデミア就活の第一関門で、千人弱の候補者の中からZoom面接をする数十人に絞られます。

推薦状

博士課程への出願と同じく、おそらく全ての書類の中で一番大事なのは推薦状です。どの大学の公募も、3から4通の推薦状を出すことが必須となっています。推薦状は推薦者が応募者を介せず直接大学に提出するので、内容を見ることは絶対にできません。博士の指導教員に推薦状をお願いするのはもちろんのこと、それだけでは4通に届かないことがほとんどだと思うので、外部の共著者などにお願いすることも必要です。いずれにせよ、推薦者は大学教員が望ましく、自分の研究を深く理解した上で将来性を感じてくれ、「こいつは将来絶対に大物になる!」と太鼓判を押してくれることが必要なのかなと思います。

内容は自分の力ではどうにもなりませんが、誰に頼むかは自分で決めることが出来ます。私は、指導教員から1通、CMUとUWの共著者から2通、UC Berkeleyの教員から1通の合計4通の推薦状を書いて頂きました。結果的に就活が上手くいったから良いのですが、私の推薦者は皆比較的若手(Associate/Assistant)だったため、もっとシニアな教員の方が良かったのかなと、公募に出す前は心配でした。また、私はMIT外との共著が多かったため指導教員以外はMIT所属ではない教員にお願いしましたが、これは私のネットワークや研究のインパクトを示す上で悪くは無かったのかなと思っています。本当のところ、何が評価されたのかは分かりませんが...。

強い推薦状というのは一朝一夕で書いてもらえる訳では無いので、皆に認められるような良い研究をしつつ、共著者との関係も良好に保つことが大事だと思います。

Research Statement

自分で書く書類の中では一番大事な書類がResearch Statementになります。長さはLetter sizeで4ページで、最後の1ページをFuture workに当てるのが一般的だと思います。

分野によって色々書き方は異なると思うのですが、私の場合は1ページ目の最初の二段落に研究分野のイントロと私の研究のインパクト(どの企業で使われているか等)を書き、1ページ目の残りは研究の大まかな概要を書きました。2,3ページ目はもう少し具体的な研究内容(それでもだいぶざっくり)で、4ページ目をFuture workに当てました。添削をお願いした指導教員からは、最初の二段落以上読まれることは稀だから、最初のページはとにかくインパクトを強調しろとアドバイスを受けました。

初稿の段階では8ページ以上あり、極限までストーリーを綺麗にするという添削に時間が掛かりました。
Research statementは同じ書類を全ての公募で使い回しました。それで別に問題無かったと思います。

Teaching / Diversity Statement

TeachingとDiversity StatementはResearchに比べると重要性は低いようですが、私はResearchと同じくらい力を入れて書きました。個人的には、研究所の研究者と大学教員を大きく分けるのは学生の指導の有無なので、教える事を重荷と感じる人は教員に向いてないのではないかと思います。教育に関してもダイバーシティに関しても私は言いたいことが色々とあるので、どちらもスムーズに書けました。

TeachingはLetter size 2ページで、過去の教育の経験、どのような授業をしたいか、メンタリングの経験、どのようなメンタリングをしたいか、などについて書きます。私は過去にTAをした経験やMITの学部生や修士生のメンタリングをした経験や、授業におけるLLM利用についての自分の見解等も書きました。最後の段落にはその大学においてどのような授業を教えたいのかを書くのがお決まりだと思います。ここは大学によってカスタマイズが必要で、私はスプレッドシートに各大学が開講している授業や公募のリンク、締め切り等をまとめていました。

Diversityは必須とする大学は少ないのですが、私は自分のDiversity Statementが出した書類の中で一番気に入っているレベルで好きだったので、必須とされていなくても追加書類として提出しました。私はダイバーシティを大切にしている人間で、自分の思想と合わない「ダイバーシティ嫌い」な大学には絶対に行きたくなかったので、Diversity Statementには自分の思想をそのまま書きました。MIT日本人会の会長や海外大学院学生会の副代表をやっていたこと、また私のブログ記事がきっかけで東大が前期教養のクラスで女子学生を6人以上まとめるようになったこと、またアメリカではジェンダーによる差別よりも社会階層による機会の損失が大きな問題であるというような事を書きました。

TeachingとDiversityは研究以外の自分の性格や個性を出せる書類だと思います。個人的なスタンスとしては、私は自分と政治的思想が合わない大学には絶対に行きたくなかったため、自分の主義主張をそのまま書きました。ただ、面接でTeachingやDiversityの内容について聞かれることは一度もなかったため、選考にどの程度影響しているのかは謎です。

公募に出すタイミング

ポスドクに行ってから公募に出すのか、在学中に出すにしても何年目で出すのか、皆迷うと思います。GPAやテストの結果が数値として出る受験に比べて、研究者の評価は同じ分野内でもなかなか難しく、自分が「一目置かれる」研究者なのかどうか、公募に出したとして何かに引っ掛かる可能性は少しでもあるのかは、判断が難しいと思います。「公募に出す自信が付いたら」公募に出すべきだと思いますが、いつ、どのタイミングで自信が付くのかが問題になります。私の指導教員はどちらかというと無関心で、アカデミア就活の背中を強く押してくれる感じでは無かったため、私は外部の教員から背中を押されることでオファーが出る可能性がゼロではないと感じ、公募につながりました。

コンピューターサイエンス分野だと、博士課程の学生を対象としたRising Starイベントが複数あり、他の同年代に比べて自分がどの程度の立ち位置にいるのか知れる、ある程度明示的な指標になっていると思います。前回のブログにも書いた通り、4-5年生の時にMLSys Rising StarやEECS Rising Starといった、厳しい選考があるRising Starイベントに採択して頂くことができ、そこで選考に関わった教員に「Your application was outstanding! You should definitely apply to my school」等言って頂き、公募に出す自信が付きました。

指導教員のラボから私を含め去年は3人出しましたが、最終的に一つでもオファーが出たのは私だけでした。推薦者が複数の推薦状を書く場合、「この候補者はこの候補者より良い・悪い」など赤裸々に評価する事もあるらしく、ラボ内で公募に出すタイミングも調整した方が良いのかなと思います。

公募を考え始めたら

私はアカデミア就活を意識し始めてから、MITに面接しに来る候補者のウェブサイトに行き、CVやStatementを保存していました。2年間、候補者のjob talkがアナウンスされるたびにそれを繰り返しているとそれなりに資料が溜まり、自分が応募書類を書くときの参考になりました。

また、自分より先に就活を経験する先輩とは仲良くした方が良いと思います。去年の3月ごろ、一緒に学会に行ったついでにドイツを旅行したUC Berkeleyの友達が当時絶賛アカデミア就活中で、旅行中に彼女と話しているだけでも就活へのイメージが湧き、心構えが出来ました。

どの大学の公募に出すか悩むかもしれませんが、絶対に出せるだけ多くの公募に出した方が良いです。最終的にオファーが多い方が給料やスタートアップパッケージの交渉がしやすいことはもちろん、面接の段階ですら、より多くの大学からお声がかかっていた方が呼ばれやすいという、鶏が先か卵か先か問題があるからです。0.001%でも行く可能性がある大学の公募には出した方が良いと思います。私はUS News CSランキングの上位30校+イギリス・ヨーロッパ・シンガポールの上位数校に出しました。結果的に沢山オファーを頂けたので良かったですが、もっと出した方が良かったくらいだと思います。

北米以外の大学については、自分が少しでも行く気がある上位校かつ、北米の大学と同じ書類(Research/Teaching statements, CV等)が使いまわせる公募にのみ出しました。

公募サイト

公募の宣伝が出るウェブサイトは以下の通りなのですが、ノイズが多い上に網羅的では無いため、10-11月は「大学名 + computer science faculty opening」でよく検索していました。もっと効率的にやる方法が知りたい...。

https://academicjobsonline.org/ajo/cs

https://www.higheredjobs.com/faculty/search.cfm?JobCat=102&CatName=Computer+Science

https://careers.insidehighered.com/searchjobs/?Keywords=computer+science

私は情弱だったため、同じ時期に公募に出していた友達に色々と助けてもらいました。
また、去年はhiring freezeしている大学が多かったため、「この大学の公募出てないよね...?」という確認をよくその友達としていました。公募が出ているのに見落としたらだいぶ嫌なので...。

やっておけば良かったなと思うこととして、公募(Job posting)のページをpdfにして保存しておけば良かったと若干後悔しています。Job postingには給料や募集人数等色々な情報が書いてありますが、公募の締め切りの後ページが消されてしまうことがほとんどのため、オンサイト面接やオファーが出た際に見返せるよう、ダウンロードしておくべきでした。

次回は、Zoom面接について書こうと思います。

アカデミア就活振り返り Part 1(概要編)

ブログを更新するのが久しぶりになりました。今年の春学期はほぼずっとアカデミア就活のために世界各地(主にアメリカ)を飛び回っておりました。海外でのアカデミア就活には馴染みの無い方も多いと思うので、これから数回に分けて私が得た知見を書き記すと共に、どのような世界なのかをご説明できたらと思います。

テニュアトラックアシスタントプロフェッサーとは

Yale大学の成田悠輔さんのWikipediaを見ると、「イェール大学アシスタント・プロフェッサー(注1: 本人は自身の役職を「助教授」と称しており、マスメディア等もそれに倣っている)」と書かれています。北米のTenure-track assistant professorと同じ雇用形態が日本にないため、私も日本の人に説明するのに本当に苦労しています。

北米では、学生に授業をしながら自分で研究室を持つ教員の職位は主にAssistant professor (以降APと表記), Associate professor, (full) Professorの三種類となっています。APからAssociateに上がる時に「テニュア審査」があり、それに通るとよほどのことが無い限り解雇されない「テニュア」を得ることが出来ます。Assistantというと日本で言う「助教」かとよく勘違いされますが、助教は自分の研究室を持たないのに対し、APは「PI (Principal Investigator)」であり、テニュアが無いこと以外はAssociateやFullと権限は同じで、自分の研究室を持つことができます。なので、「助教授」という本来日本にはない職位の和訳がよく使われるのだと思います。

大学で教授職に就くためには、誰でもまずはAPになる必要があります。

アシスタントプロフェッサーになるには

北米の博士課程に進むのも狭き門ですが、そこから更にAPになるのは更に狭き門となっています。正確な数字は公表されていませんが、大体一つの公募に数百から千くらいの応募があるようなので、単純計算で倍率は数百から千倍となります。ポジションを得るためには、分野でRising starと認められるのはもちろんのこと、運やマッチングも大事になってきます。

ざっくりとしたイメージとしては、「分野の中で今年卒業する人達の中では自分がトップだな」と思えるくらいの研究成果や知名度は最低限必要で、それでおそらく応募者の中の上位100名くらいに入ります。しかしながら、現地のインタビューに呼ばれるのは数人から多くても20人弱のため、応募書類の内容ももちろん大事です。その後、現地のインタビューに呼ばれた候補者のうち、一人から多くても数名程度にオファーが出るという流れが一般的です。

応募時に結構自信ありそうな人でもオファーが0という状況はよく見るため、慢心せずにしっかりと準備することが必要です。

私の場合

私は博士課程6年目の秋学期に公募を出し、春学期に面接をし、最終的にコーネル大学のオファーにサインしました。ブログ上で他の大学の大学名を出すのは憚られるので他にどこからオファーが来たのかは書きませんが、48くらい公募(CSとECEは別公募だったりするので、大学数だと30強)を出し、11校とオンライン面接をし、10校とオンサイト面接を行い、8校からオファーを頂きました。オファーが出た8校のうち3校はアメリカ以外(イギリス、シンガポール、UAE)で、アメリカのオファーはUS NewsのCSランキングの上位10校から2校、上位30校から5校頂けました。

私の就活関係のタイムラインを振り返ると以下のようになります。

年・月 やったこと
2024年春(4年目の終わり頃) なんとなくアカデミア就活の可能性を考え始める。
2024年夏・秋(4年目の終わりから5年目の初め頃) MLSys / EECS Rising Starワークショップに応募・参加する。外部の教員に褒められ、自信が付く。
2025年8月(6年目の初め頃) Research, Teaching, Diversity Statementのドラフトができる
2025年9月 指導教員やコラボレーターにドラフトを見せる。UAEのとある大学から面接のお誘いが来る(応募していないのに)。
2025年10月 ドラフトを外部の知り合いの教授や友人に見せ、フィードバックをもらう
2025年11月 書類を公募に出す。UAEの大学に面接に行く(これが初めてのオンサイト面接)。
2025年12月 3校とZoom面接を行う
2026年1月 3校とZoom面接を行う。コーネル大学のオンサイト面接の前に大雪が降り大変な目にあう。直後にシンガポールで面接があり、非常に疲れる。
2026年2月 2校とZoom面接を行う。3校とオンサイト面接を行う。シンガポールとUAEの大学からオファーが出る。
2026年3月 5校とオンサイト面接を行う。3月中旬にコーネルからオファーが出る。
2026年4月 残りの大学からもオファーが出る。2nd visitでオファーが出た大学を回る。コーネルのオファーにサインする。

Zoom面接はある大学がほとんどでしたが、いきなりオンサイト面接に招待された大学もありました。コーネル大学の面接の直前に大雪警報がありフライトがほぼ全てキャンセルされるというニュースがあったため、慌てて飛行機を数日前の便に振り替え、大雪より先に現地(イサカ)入りをしました。シンガポールからアメリカに帰国した直後の面接は、時差ボケであまり良いパフォーマンスが出せませんでした(結果的にオファー出たけど)。オンサイト面接についての細かいアドバイスは、また別に詳しく書きたいと思います。

イメージ的には、書類とZoom面接は準備のしようがありますが、オンサイト面接はjob talk以外は体力勝負だと思います。また今度、書類、Zoom面接、オンサイト面接に分けて細かく振り返りとアドバイスを書きたいと思いますが、「ぜひこれが聞きたい」等ありましたらコメントよろしくお願いします。

『チ。』バデーニ家&M修道院時代考証

「チ。」と趣味で勉強しているウクライナ史が直接繋がっていることに気づいてしまって宇宙猫状態になっているのでここに吐き出します。私は歴史の専門家ではありませんし、あくまで自己解釈のため、間違っている可能性も大いにあります。

バデーニさんの軌跡。出身地のLviv(リヴィウ)からKraków(クラクフ)近郊のMogiła修道院を経て、Gniezno(グニェズノ)付近の村に左遷されたと考えられる。

バデーニ家について

バデーニ家は実在したポーランドの家系であり、現在のウクライナにあたるリヴィウ(Lviv、上記画像右下)のブルジョワジー出身とされています [1]。18,19世紀にはバデーニ家は活躍を見せていたようですが、その起源がどの世紀に遡るかについては明確な記述がありません。名家のため、15世紀にはすでに存在していたものと推測されます。バデーニ家の遺跡は、現在のウクライナ西部からポーランド南部にかけて広がるガリシア地方を中心にいくつか存在します [2, 3, 4]。しかし、15世紀当時はまだそれほど家系が大きくなっていなかったと考えられるため、出身地であるリヴィウ周辺に住んでいたと推測されます。当時、この地域はすでにポーランド王国の支配下にあったため、バデーニ家の人々は教育や成功を求めてポーランドの中心部にある修道院で学んだのかもしれません。

現在、リヴィウはウクライナ西部に位置していますが、15世紀当時の支配層はポーランド貴族で、同地域のウクライナ語を話すスラヴ系農民を支配していました。バデーニ家が貴族として正式に認められたのは18世紀("ennobled in the 18th century")のことであり [1]、この時代にはポーランド・リトアニア共和国の貴族制度がすでに確立されていたため、新たに貴族の地位を得るのは容易ではなかったと考えられます。もしバデーニ家がリヴィウ出身のブルジョワから貴族になったのだとすれば、元々は現地のスラヴ系の商人であり、商業活動で富を築き、ポーランド系貴族との婚姻を通じて地位を高めた可能性があります。

ただし、後述の通り、バデーニさんが加わった可能性が高い修道院はシトー会(カトリック系)に属するものでした。15世紀当時の西部ウクライナは、988年のウラジーミル1世の正教会への改宗以降、500年ほど東方系キリスト教が現地のスラヴ人には広まっている筈です。シトー会がカトリック系であるため、バデーニ家は改宗した可能性も考えられますが、もともとポーランド系であった可能性も否定できません。

ちなみに、1349年にリヴィウはポーランド王国の領土に編入されました。このときリヴィウをポーランドに加えたのは、ポーランド王カジミェシュ3世であり、彼はポーランドの実在する貴族家系であるピャスト家の出身です。ピャスト伯の家系がリヴィウ出身のバデーニ家をポーランド王国に加えたと考えると感慨深いですね。

[1] Badeni - Wikipedia
[2] https://maps.app.goo.gl/oB4VchpdyaWSTxZM7
[3] https://maps.app.goo.gl/CRKt4mo5k1YhEmb8A
[4] https://maps.app.goo.gl/cwcbJSEnvszHYoVS7


M修道院について

第3集より
似てる?
修道院長の家。似てますよね?

バデーニさんが目を焼かれたとされるM修道院は、かなりの確率でMogiła修道院(Mogiła Abbey)だと思われます [1,2]。修道院長の住居は、漫画に描かれているものと似ています。

[3] より、右側がシトー会の服装

Mogiła修道院だと考えられるもう一つの理由は、この修道院がシトー会に属している点です。上記の画像を見ると分かるとおり、バデーニさんのscapular(スカプラリオ)は明らかにシトー会の特徴を備えています [3]。

Mogiła修道院はクラクフ近郊に位置しており、リヴィウ(Lviv)からは約300kmの距離にあります(一枚目の画像参照)。徒歩ではおよそ71時間かかるとされていますが、当時は馬で移動していたことを考えると、十分に到達可能な距離です。

また、ピャスト家の本拠地であったグニェズノ(Gniezno)や、最後に実名が記録されているブルゼヴォ(Brudzewo)付近には、バデーニやオクジーがいた村も存在した可能性があります。この場所はMogiła修道院からさらに北西へ約300kmほどの距離に位置し、バデーニさんの実家があるリヴィウとは反対方向です。そのため、バデーニさんは実家のない方向に左遷されたと考えられます。

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Mogi%C5%82a_Abbey
[2] https://maps.app.goo.gl/bEjhdJWDBvRUahvx9
[3] https://world4.eu/monastic-costumes-history/


最後に

チ。めっちゃ面白い。
ウクライナ史めっちゃ面白い。
ポーランド行きたい。ウクライナ行きたい。 聖地巡礼したい。

ウクライナ史に興味が出たらこの動画シリーズ見て下さい。歴史自体も凄く面白いですし、チ。の世界と地続きな地名、人名、思想が出てきて、二倍楽しめます。
youtu.be

船井奨学金の第七回留学報告書を書きました

ここ半年の近況報告です。最近ブログ全然更新出来てないですね...。社会に対する不満が足りていない気がする。

https://admin.funaifoundation.jp/upload/funai/user/r2lbwzc95syd.pdf

なぜ炎上がどうでもいいか

私はツイッターでフォロワーが28.7Kおり*1、まれによく物議を醸す政治的なツイートをするので、半年に一回くらいのペースで炎上している。日本人の友人に会うとたまに「炎上してるけど大丈夫...?」と心配されるが、もう慣れているので何も感じないというと驚かれる。この記事ではなぜ私が炎上に対して何も感じないかについて考察することで、読者の炎上に対する心理的ハードルを下げ、日本語ツイッター界隈全体で議論を巻き起こす政治的なツイートがもっと増えるといいなと願うものである。

分析

2019年から100リツイートを超えたツイートが32個あり、下記のリンクから全て見ることが出来る。ツイートの内容とリプライを見れば私がどのようなことを言ってどのように炎上してきたかが分かると思う。
twitter.com

炎上・批判の内容は大きく分けて、1. 彼女の意見に賛同しない, 2. 彼女は恵まれている, 3. tone policing*2の三つであると思う。

1の「彼女の意見に賛同しない」という批判は生産的だし、私の主張をきっかけに大学の教授会で議論が起こったりとポジティブな影響を与えられているようなのでとても嬉しく思っている。

2の「彼女は恵まれている」というお気持ちの表明や3のtone policingも多い。勿論正当な批判も中にはある。ただ一方で単なる嫉妬心からくる「彼女は恵まれている」とお気持ちを表明する人の脳内を考察すると、現代では人間が何かを達成した時の業績はその人がどこからスタートしたかの差分で評価されるため、「彼女はもともと恵まれているから何を達成したとしても彼女の努力ではない」と言いたいのかなと想像できる。また、一般的に「これだけの差分を私は努力で埋めることができました、なので今そのスタート地点にいる人達も頑張れば出来ます」という言説は希望を与えることもある一方、「達成出来ていない人は努力不足」という呪いを与えることにもなる。誰だって努力不足とは思われたくないし、何より自分でそれを認めたくはないため、自己防衛の為に目立っていたり何かを達成した人の育ち方を攻撃するというのは私に限らずインターネットで広く観測できる事象である。正当な批判というのは、自分のスタート地点を実際よりも下げて伝え、自分の努力や成果を実際よりも大きく見せる事に対してであり、それはそのスタート地点にいる人たちに対して虚偽の希望を抱かせるため、私も気をつけたい。

単なる嫉妬心で叩く人の気持ちも理解できるし、私をサンドバックにして良い気分になるのならそうしてくれて構わないと思っている。ただ一般に人の成育環境を叩いたり自分と比べたりすることは、「〇〇は恵まれていたから成功しただけ、自分は恵まれていなかったから成功しなくても当然」と自分の現状を合理化する事になるため全く生産的ではないと思う。私は顔も名前も知らない人間にどう思われても全く気にならないし、下に述べるもっと大事な目的を達成することの方が自分の成果を主張・納得させるよりずっと大事だと思っている。

炎上を恐れるより自分の意見を表明することが大切

発信を続けるのはこれがおそらく一番大きな理由。自分が自分である事が私にとって一番大事なので、強く信じる信念がある場合、どれだけ人に嫌われたとしても信念を貫くべきだと思っている。これに関しては、自分が言いたいことを言えないのなら生きている意味が無いくらいに強く思っている。既存の社会の価値観を変えるにはまず注目を集める人が必要で、その人が炎上して大勢から嫌われることが必要だと思っている。誰にも嫌われないが誰にも顧みられない人間より、多くの人に嫌われても社会に影響を与えられる人間になりたいと思っている。

例えば、グレタ・トゥーンベリさんは環境問題に関する普通の人には極端に感じられる主張で嫌いな人も多いとは思うが、彼女が先陣を切って世界中の注目と悪意を集めたことで、環境問題に対してのポジティブ・ネガティブ両方の関心が増えたことは事実であろう。社会問題に対して無関心である事に比べれば、ネガティブであったとしても意見も持っていた方が絶対に良い。多くの市民が意見を持っていれば議論が盛り上がりその社会が何かしらの結論に達することが可能だが、無関心では本当に何も進まない。もちろん急進的な主張というのはどんなに主張する人間が正しいと信じていたとしても一朝一夕で実現するものではない。しかし、社会の変革は1000の問題解決を主張してやっと翌々年に0.5が実現されるような非常に遅いプロセスであるため、誰かが1000を主張することはそれがどんなに急進的だと思われようと必要だと私は考えている。

女性に投票権があることは今では当たり前だが、100年前は非常に急進的な主張だった。男は外で働き女は家事をするというジェンダーロールが「正しい」とされた社会で、女性の参政権を主張することがどれだけ勇気のあることか想像すると身震いがする。人生をかけて既存のシステムと戦い信念を貫いた先人たちがいるお陰で今を生きる我々は何の疑問もなく投票権を享受することが出来ている。法律もシステムも価値観も人間の想像力の中にしかない、社会をより生産的に動かすための創造の産物である。人間の想像力は進化することができるし、より社会の価値観を多くの人にとって良くした状態で次の世代につなげるのが今を生きる我々の義務であると思う。

私は日本の女子高校生や女子大学生を男女差別的な環境から救いたいと強く願っている。私がロールモデルになりたいというのは非常におこがましいが、少なくとも日本の女子学生を勇気づける使命があると思っている。学生から「勇気をもらいました!」という内容のDMやリプライをもらう度に発信を続けていて良かったなという気持ちが強くなる。

私のことを叩いている人たちは私のキャリアに影響を与えられる地位にいない

炎上はパブリックイメージの低下と表裏一体なため、キャリアに影響を与えるから炎上が怖いという人がほとんどだろう。私が尊敬していて目標としているのは炎上する私のツイートを見て「元気な若者がいるなあ」と微笑ましくもちょっと心配に思ってくれるくらいに成功した人間であり、私のことを鬱陶しく思うような人は私のキャリアを変えられる位置にいない。

これに関しては私が米国在住であることも影響しているとは思う。普段は英語のみで仕事や研究をしており、主にツイートするのは日本語で日本のシステムを批判することが多いため、そもそも私のキャリアに影響を与えられる人達が私のツイートを目にすることは少ない。それでも友人やラボメイトや同僚が翻訳して読んでくれることはあるが、私のリベラルな価値観や「日本の女性差別をなくそう」という思想にアメリカのリベラルエリート達が共感しない訳がないので、読まれる度に非常に褒められることこそあれネガティブな影響は何も無い。しみじみ、自分の思想と近い環境でキャリアを築く選択をして本当に良かったと強く思う。もし仮に日本に残っていたら、将来の就職先や共同研究者に嫌われることを恐れてここまで強くは自分の意見を表明出来なかったかもしれない。アメリカの大学やテック企業はリベラルな価値観が浸透しているため私にとっては本当に居心地が良い。

まとめ

普通に生きていたら他人からむき出しの悪意や敵意を向けられる経験はそうそう無い。炎上したことでネガティブな事は今まで一度も無く、むしろ他人の悪意に晒されてそれを処理するという経験をさせて貰えて感謝している。私にとっては炎上は正味プラスな経験だと思う。

*1:2022/11/24現在

*2:社会的課題について声を上げた相手に対し、主張内容ではなく、相手の話し方、態度、付随する感情を批判することで、論点をずらすこと